ナハトムジーク

4歳の頃、病気で入院していた母が退院し、一年ぶりに一緒に暮らせることになった。再会の日、私は泣きながら「どうして嬉しいのに涙が出るんだろう」と言ったらしい。聞いた時はなんて出来た話だと思ったけれど、それでも確かに、人が嬉しくて涙を流す理由はずっと分からなかった。それから10年以上が経ち、米津玄師さんの音楽「アイネクライネ」を聴く中で、「奇跡であふれて足りないや」という歌詞に出会った。以来、小さな4歳児もそうでない大人も、目の前の出来事があまりに大きいと、自分が足りなくなって泣いてしまうのだろうと考えるようになった。幸不幸問わないはずなのに、それでも涙が悲しさの印象ばかりなのは、泣くほどの幸せを感じられることがどれほど難しく、かけがえのない姿であるかということの裏返しだと思う。将来、幸せで溢れてしまうような繊細さを持つ人に出会ったら、自分と同じくらい大切にしてほしい。4歳の自分にはまだ難しいかもしれないけれど、もし夢か何処かでまた会えたらそう伝えたい。そして今、そんな人がそばにいるよということも。

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