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寄り道したら雨が降る 2024年1月18日

寄り道をすると雨が降る。特に何の比喩でもない。曇りの日の「降るかも」という日に寄り道をすると決まって雨が降る。「この空模様なら降らない」と思って安心して、文房具屋さんとかに入って、特に何も買わずに出てくると雨が降る。降っている。そのまんま帰っていれば雨に降られることなんてなかったのに、寄り道をして帰宅時間がずれて、そのせいで雨粒に濡れる。

帰宅といえば、この間、遠くの場所からの帰り、空いている電車に乗った。空いてる電車に乗ったのは久しぶりで、とても良い時間だった。空気も揺れも景色も。持っていたジュースもぼーっとしていた意識も全部含めて。通学に満員電車を使うようになって以来、自分はなるべく変な時間を選んで通学してきた。ここでいう変な時間というのは世間の多くの人が出勤・退勤をするわけがないだろうというおやつの3時とかその辺の時間のことで、そこを狙って電車に乗ることで少しでも混雑を避けようという算段だ。でも自分もまた曜日によっては午前中から授業があったりして世間の多くの人と同じ時間に行かなければならず、毎日毎日おやつの3時通学というわけにはいかないのだった。それで通勤ラッシュだだ被りの時間に電車に乗り芋洗いの如く人を潰し人に潰されながら目的地へと向かう。どんな冬でも満員電車だけは不快な熱気が立ち込めて淀んでいる。目的の駅に着く頃にはもうマッシュポテトな自分をどうにか抱えて改札口へと歩き出す。通勤電車に乗っていて心が平気な人はいるのだろうか。満員電車は病的だ。慣れてはいけないものだと思う。平気な人なんていない。それしか無いからみんな頑張っているだけだ。


頑張っているといえば、この間、大学のあまり話したことが無い方々とそこそこ長い時間話す機会があって、来年度どこの上場企業に就職するとか今◯◯という資格の勉強をしているとか●●というコミュニティに属していて長らくリーダーを務めているのだとか様々な話を聞いた。お互いパーソナルな話をする関係にまだ至れていないのもあってなかなかにアクティブな話が多く、暇なのがそんなに嫌なのかなと思いつつみんな頑張っていてすごいなあと感心していた。1日おきにゴロゴロする日がなくていいんだろうか。実際のところみんなだってアクティブの合間に部屋で寝っ転がりしみチョコを食べながらYouTubeを観ているのに間違いないのだろうが、活動的な話だけを交わすとどうしてもその辺りの印象が薄れてきてしまう。みんなのことが毎日動き続けるキハダマグロに見えてくる。ゴロゴロだって大切な予定だ。二日間休みがあったらどちらかはゆったり過ごすのが丁度良いと思う。そんな自分も来年から大学生ではなくなる。働いている人ってみんな毎日フルコマなんだなあ。すごいなあ。


「みんな」って本当に繊細な言葉だと思う。定義もニュアンスも流動的で曖昧だ。それでいて使い方を考えないと途端に鋭利になって色んなものを崩してしまう気がする。

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