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使命はあってもなくてもいい。

自己探求していると、『使命』って言葉よく聞きますよね?

これ、個人的にはあってもなくてもいいと思っています。

今生生まれてきた意味や、何を経験したいかはほんとに人それぞれ。

ただ遊びにきてる魂だっている。

「使命?何それ?生きてるのがただただ楽しいんですー」っていう人がいたら、「めっちゃいいやん、それ!」って思います。

逆に、「これは私の使命なんだ!」と思い込んで、自己犠牲しておせっかいに人助けをしているつもりになっていた過去の私のような人には、

「それ本当にしたいことですか?」

「大丈夫ですか?」

「無理しなくていいんですよ」

「まずは自分ですよ」

と過去の自分に思うように、ただただ思う。

では私は今、使命なしで生きているのかというとそうではありません。

ここ、すごく向き合いました。

一度使命を手放してどう生きたいか。

『人の役に立ちたい』って気持ちが強いのは向き合っても同じ。それは否定できない。

でも向き合っていく内に、『自己犠牲は終わり』という言葉が出てきて、

人の役に立ちたいからこそ、もっと自分を大切にしていかないといけないんだ

ということがわかっていきました。

使命が義務になって苦しくなったり、
しなければならないんだって苦しくなったりしていた自分を癒し、解放しました。 

そしてだんだん、人の役に立ちたいというエゴに飲まれなくなっていきました。

真実を見極める力が少しずつついていきました。

そしてだんだん、使命って、やると喜びのエネルギーが湧くものであり、背負うものでもなければ、苦しいものでもない、ということがわかっていきました。

私は瞑想をはじめて、神社をはじめ色々な聖地に導かれるようになってから、『神様のお仕事をさせていただきたい🙏』、という気持ちが湧き上がってくるようになりました。

これが今私のソウルワークとなっております。

自分を磨きながら、ソウルワークをしていくことが、しなければならないという義務感が一切ない、喜びそのものなのです。

毎朝の瞑想では、神様と繋がり、

『今日もお導きください』と祈り、

毎セッションごとに

『ありがとうございます🙏』と感謝し、

だんだん仕事とプライベートの境がなくなり、

いつも神様に心を合わせて生きることがこの上なく好きです。

自分の中に、人の中に、自然の中に、存在しているものすべてに神性を見出すのが好きです。

自分の好きを大切にしながら、ささやかながらも神様のお仕事をさせていただく、これが今感じている使命です。

これが思い込みで、自己満足で、幻想でもいいんです。これが経験したかったことってしっくりいってますから。

「自分が自分の世界を創っている」という捉え方も好きだし、「大いなる存在に生かされている」という捉え方も好きです。どちらかではなく、両方同時に採用するのが好きで、しっくりいってます。

真実は人の数だけありますから、

すべては自分がしっくりいってるかです。

自分を磨くことだって、したい人だけすればいい。使命ももちたい人だけもてばいい。

使命とか意識してなくても素晴らしい人いっぱいいます。私が素晴らしいと感じる人は、やっぱりその人らしく生きている人。

本当の自分を生きている人を、魂で生きてる、目覚めてる、と私は捉えます。

神様、自然のエネルギー、龍、鳳凰、天使、宇宙人、などなど、見えない存在のこともご縁は人それぞれ。

自分がしっくりいくものを感じればいいし、繋がればいい。

自分が自分の世界観を大切にできていれば、
他人の世界観や宇宙観も尊重できる。

違ってていいんです。

すべては、

自分がしっくりきているかどうか。

どう生きたいか。

真実は自分の中にある。

人の真実は人の中にある。

あなたの真実はあなたの中にある。  

そんな風に思っています。







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