出生前診断をめぐる、30代夫側の思考あれこれ

先に断っておくと、私は男性です。
何を書いても妻に対する無責任さが拭えないことを予めご了承ください。
またダウン症を患っている方およびその家族を貶める意図はありません。
あくまで個人の見解を記載するものです。

本記事を書こうと思ったきっかけ

妻が妊娠した。すでに妊娠10週だ。
結婚4年目だが、妊活を志向したのは2.5年ほど。自己流のタイミング法で1年、タイミング法で1年、人工授精に変わって2回目で始めての妊娠。具体的な要因が判別できない中で、想定以上に長引いたので夫婦ともに不安な思いに苛まれたが幸いにも結果に結びついた。

安定期にも入っていないので、これからどうなるかはわからない。まだまだ用心しないといけない。

だがその前に夫婦で判断すべきテーマがあった。出生前診断である。本件をめぐる思考は現時点で夫婦間で結論が出ていないが、全人類が正答できない事象であることを考えると、個々人の思考は貴重なサンプルになると思う。今後の糧としても、文章に認めておきたいと思った。

出生前診断を受診することは双方の合意だった

我々夫婦はダウン症をはじめとする障害を持つ子どもを養育することは難しいと考えているので、出生前診断を行うこととしていた。倫理的に、公に話すことが憚れる内容だ。優性思想といわれても仕方ない。だが事実として正しく夫婦の思想であり、この思想は法律上禁じられていない。出生前診断も議論を呼ぶとはいえど認められている。

出生前診断を行う理由はただ一つだ。
ダウン症の子どもは本人の自律的な生活を望むことが難しい可能性が高く、身体・精神・金銭的な負担が我々に重く圧し掛かることは容易に想像できる。その負担を避けることができるのであれば、避けたい。これに尽きる。また、私の思想を付け加えるなら、子どものことを考えたわけではなく、夫婦の今後の在り方を心配している。そういった意味では身勝手と罵られても致し方ない。

この時点(実際に妊娠する前)でいくつか整理されている事項があった。まとめておく。

染色体異常(ダウン症)の確率の多寡をどう見るか

日本産婦人科学会のデータによれば、30歳で1/952(0.1%)・35歳で1/385(0.3%)だった。別のクリニックのデータ(出展不明)によれば32歳では1/652(0.15%)ほどとのことだった。普段なら気にも留めない確率だが、652人に1人はダウン症が発生する。私たち夫婦は、今のところこの率を少ないと受けとめるられない。おそらく20代で出産していても、少ないとは感じていないだろう。

ダウン症も受け止められない人間が、子供を育てることができるのか?

この問いに対しては、他人軸の言葉である点で意味のない問いだと思った。育てるのは我々だ。法律上許容されている事象に対して、選択する自由がある。他人の倫理観によって左右されるべきではない。不要な論点だ。

出生前診断で判別がつくのは一部の染色体異常のみ。いちいち気にするつもりか?

これも論点がズレている。確かに健康体が望ましいのは事実だが、現時点の仕組みの中で判別し得るのがダウン症をはじめとする症状なだけだ。判別がつき、そのリスクを回避することができるのであればやはり回避したい。

堕胎される子どものことを考えれないのか?

考えない。胎児のことをどう考えるかによって意見が分かれると思うが、少なくとも私は22週未満の胎児を人間だとは考えない。母ではないからそう思えることは重々承知しているが、日本国内で制定されている法律に立脚した立場をとり、私と妻の人生を優先する。

上記の通り、我々の中では一定の整理がついているつもりだった。だが、我々夫婦は出生前診断についてネットニュースやSNSで知った程度。血液採取で診断ができる、その程度のことしか知らなかった


出生前診断に関する解像度を高める

まず出生前診断には非確定検査と確定検査があることを知った。私が想定していたのは非確定検査だった。

非確定検査の中にはいくつか選択肢があって、感度が低いものにクアトロ検査・コンバインド検査等があり、感度が極めて高いものにNIPTがある。低いものは比較的廉価に検査できるが、NIPTは非常に高価だ。いずれも母体へは「非侵襲的」といって、安全な検査である。

確定検査は絨毛検査、羊水検査がある。精度は極めて高いが、流産リスクがある。これは35歳出産時のダウン症出生率(0.3%)とそう変わらない。費用も高価だ。一般的には非確定検査および医師のエコー検査で所見が認められれば、確定検査に移ることが多そうに思えた。

一般的に出生前診断と呼ばれているものはNIPTを指すことが多いように感じた。高価だが、陰性を保証する材料としては非常に有用だと思う。
※ちなみにNIPTはアフィリエイトが蔓延しており、google検査上においては認可外病院による広告が氾濫している。嘘は書いてないと思うが、受診に向けて誘導されてしまうので注意いただきたい

ここまでは、想定の範囲内だった。想定外、というより浅はかさを痛感したのは検査のその先、陽性だった場合どうするか、だ。

出生前診断に対する本能的な拒否感

私(男性)視点では何を言っても身勝手な言い分になる

まず私(男性)の視点から見て、妻に堕胎の選択肢を言及することは非常に困難だった。出生前診断の話をしている以上、その選択肢は前提にあったはずだったが、いざ胎内に宿った命をエコー写真や心拍で確認すると、何と話を切り出せばいいかわからなかった。正直なところ、私の心はNIPTを受けたい気持ちがある。つまり、陽性だった場合、堕胎してほしいというスタンスに立つ。しかも、子どもが欲しいのでその後妊活を継続してほしい、と言うつもりだ。改めてテキストに起こすと恐ろしく身勝手な発言に震えてしまう。

そんな私でも堕胎というワードを文字に起こすのも、言葉にすることも恐ろしい。それを文字通り一身に受け止める妻の気持ちを考えると、ただただ申し訳ない気持ちになる。

今のところ、これまで話した中で推察できる妻の気持ちは以下の通り

妻の気持ち①:堕胎という選択肢を突き付けられること自体が恐ろしい

陽性だった場合、当然ながら、診断を受けたらいくつかのプロセスを踏まえて、堕胎を選択する機会が与えられるだろう。ただただ恐ろしい選択肢だ。上記でも書いた通り、堕胎の方法についても、すでに一度宿った命に対して物理的処置を行うことになる。

出生前診断を行わなければ、生じない選択肢だ。

妻の気持ち②:堕胎後、再度妊活することはできない気がする

少し目線が変わるが、堕胎後の話。そんな都合よく再度妊活を行うことは感情的にできないだろう、という話だ。すでに我々は妊娠に向けて多くの苦労をかけている。また再度チャレンジするにあたって、そのトリガーが堕胎ともなれば、気持ちが追い付かないのは当然だ。あらゆる感情に苛まれることになるだろう。

これも、出生前診断を行わなければ、生じない選択肢だ。

妻の気持ち③:かといって、ダウン症の子どもを産んだ後、検査をすればよかったと後悔するかもしれない。

妻も私もこの点についてやはり気持ちは変わってない。スクリーニングが行えてしまう事実を知ってしまった以上、回避する余地があるのであればやりきっておきたい、という気持ちが強そうだ。

ダウン症をもって生まれても幸せに生活している人はいるし、ダウン症でなくても障害を持って生まれる子どもはたくさんいる。周囲の意見は多くあるだろう。だが、やはり育てるのは我々だ。我々が壊れては意味がない。その意味で、周囲の意見に惑わされず、後悔しない選択肢が重要になる。

頭で判断できること

現時点で、少なくとも我々はダウン症の子どもを望んでいない。であれば、その確率をより低くするために出生前診断を受診すべきだ。そして、陽性であれば堕胎を選択する。これが頭で考えた適切な解に見える。

頭で判断できないこと

一方で、
堕胎を判断することそのものが本能的に拒否感がある。その判断によって、今後の生活に支障をきたす可能性がある。また、その後の妊活の継続を見込み辛くなるだろう。

だが、すでに子は宿っている。確率の対象になっている。この時点ですでに0%ではないので、将来ダウン症児が生まれてきたときに、後悔をするになるかもしれない。

これからどうするか

これからあと1週間で出生前診断の受診を検討しないといけない。(と病院には言われている)

正直なところ、多くの人が選択している「出生前診断を受診せず、出産まで走り抜ける」という選択肢でもいいんじゃないか、という考えがよぎる。確率は0.15%だ。この確率が的中してしまう可能性は少ない。

医者もあまり推奨していないように見える。35歳以上にはある程度案内しているようだが、32歳とそこまでの差があるのか正直ぴんときていない。また、エコー検査による身体的な特徴によってある程度わかるものなのかもしれないが、その精度と出生前診断の精度の差はわからない。目を閉じて、医者の診断を信じて進む手もある。その場合は医者に依存する形になるが、結果は当たり前に我々に跳ね返る。

そして、大変卑怯な物言いになってしまうが、最後の最後は妻の身体であり、身体的な負担は彼女にいく。精神的な負担も私とくらべものにならないだろう。私の希望は伝えたうえで、妻の選択を尊重するスタンスを取りたい。だが、これも彼女の意見次第だ。

諸々思考を巡らせても、答えはでない。だが結果はすべて我々夫婦が受け止めること。どう考えたらいいかはまだ整理しきれてないが、少なくとも後悔しない選択肢を選びたいものだ。


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