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15. 父の通夜

 私は葬儀の遺族代表挨拶をモミジから頼まれました。葬儀の準備は何から何まで妹達に頼りっきりでしたので、これくらいは長男としての務めを果たそうと引き受けました。
 葬儀業者から渡された挨拶の例文を目にして、「形式的な挨拶なんて意味がない」と思ったとき、私の心の中に、慣習的なことに意味を認めなかった父がいるように感じました。ただ、その父は、慣習は無意味だと言って厳しい顔をして否定していた以前の様子とは違って、ニッコリ微笑んでいました。「形式的な挨拶文をただ読み上げても、誰のためにもならないサーネ」、と言っているかのようでした。
「今の父さんなら何を言ってほしいだろうか?」私は父を前にして、そう考え始めました。
 それから葬儀の日まで添い寝で線香の番をしながら、父が私の体を通して最後に話したいとしたら、何を話したいだろうか、そればかり考えていました。
 そうして、思い浮かぶのは、父がこれまで出会った人々への感謝と祈りばかりでした。そうやって溢れてくるものを、私は拙い文章ながら紡いでいきました。

◆ 最後に見ていた映画

 ところで、葬儀までの間、私達は、通夜の合間を縫って、出棺前に棺桶に一緒に入れる形見の品を探すついでに、父の別居先のアパートと実家にある遺品の整理を始めていました。

 あるとき、実家に置いてあった父の荷物を整理しているとき、私はDVDケースを見つけました。
 父は、実家に戻ってからだんだんと動けなくなると、部屋でDVDを観ながら過ごしていました。実家の部屋にはそのときに観ていた映画のDVDが2ケースほどありました。それは別居先にあったものとは別に、新しく買い足したものでしたが、実家の部屋にあったものは、別居先のものとは全く趣向が異なっていました。
 父はもともと、幼いときから慣れ親しんだ西部劇、あるいは洋画のアクションもので、話の筋としては典型的に勧善懲悪の映画が好きで、別居先に置いてあったDVDはこういうものばかりでした。
 一方で、実家に置いてあった、父が最後に観ていた映画には、古い邦画が多く含まれていました。ほとんどが白黒でしたが、とても静かで穏やかな美しい映像とストーリーが流れていく、そのような映画ばかりでした。それらはかつての父の趣向とはあまりにもかけ離れていました。
 母の話によれば、以前の父なら地味な日本映画をバカにしていて絶対に観なかったが、最後のころはよく観ていたそうです。
 そんな父の映画の趣向の変化にも、父の穏やかで満たされた最後の時間をうかがい知ることができました。
 それから、もうひとつ、美しい邦画以外に、意外な映画がありました。
「スターウォーズ エピソードⅤ:帝国の逆襲」でした。
「観てくれたんだぁ」と、私は思わずつぶやきました。
 あんなにこの映画をバカにしていた父が最後に残された、限られた時間にこの映画を観てくれたことに、救われたような気がしました。

◆ 古い目覚まし時計

 またあるとき、別居先のアパートをツグミと片付けているとき、ふと枕元にあった古い目覚まし時計に気づきました。
 その目覚まし時計は、四角い紺色のボディの、黒の文字盤に夜光塗料でアラビア数字が記された、シンプルなアナログ時計で、日本製のとても古い時計でした。私も妹も幼いときから見覚えのある時計で、父がどこへ赴任するにもずっと使ってきた時計でした。
 父が学生時代から持ち続けていた洋書や老年、追っ駆けするほど好きになった音楽グループのCDなど、すでにいくつか形見として選んでいましたが、妹も私も、この時計も相応しいと思って、斎場に持って帰りました。
 母は私達が持って帰ってきた形見を眺めて、突然叫びました。
「この時計、結婚する前に私がお父さんに初めてプレゼントしたものよ。」
 私も妹達もとても古いものだとは知っていましたが、まさか自分達よりも古いものだとは知りませんでした。ましてや、それが母から父へのプレゼントだったとは全く知りませんでした。
 母は私達に聞きました。
「これ、まだ動いているの?」
「うん、まだ動いていて、使えるよ。」
 と私が答えると、母は、
「随分長い間使っていてくれていたんだねぇ。」
 まるで今まで誰も目を止めることのなかった道端の小さなお地蔵さんをいとおしむかのように、畳の上に置かれた時計を両の掌で囲って、しみじみつぶやきました。

 この様子を眺めて、私はこう思いました。
 父と母が長年募らせていた憎しみは、
 父の最後の一ヶ月半に消えてなくなり、
 代わりに優しさや思いやりが表われてきたように見えるけど、
 実はその憎しみはお互いの心が作った幻で、
 本当は出会ってからずっと二人の間には愛しかなかったんだ、
 この時計が二人の間で変わらず時を刻み続けていたように。

 名残惜しそうな母を見て、私達はこの時計を形見として棺桶に入れないことにしました。
 その目覚まし時計は、この後、実家の父の遺影が飾られた簡易なお供え用の台の側に置かれることになります。

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