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16. 父の葬儀

 父の葬儀の日、この日は、この時期の沖縄にしては珍しく良く晴れた、風のない温かな日でした。
 私達遺族も、とても晴々とリラックスした気持で、その日を迎えていました。
 ただ少しリラックスの度が過ぎたのかもしれませんが、私がようやく挨拶の原稿を書き上げたのは、父の火葬の最中でした。
 そして、葬儀で私は遺族代表として挨拶文を読み上げました。


◆ 「亡父 葬儀 遺族代表挨拶」(2012)

 本日はお忙しいところ、ご会葬頂き、誠にありがとうございます。

 故人は生前、本当に好き勝手に、
 ハチャメチャやっておりましたが、
 家族から見ると、いつもどこか不満で、
 常に怒りを抱いているように見えました。

 父は愚痴や悪口は決して口にしませんでしたが、
 悲しさや淋しさといったネガティブな感情までも
 ぐっと力を込めてこらえてしまい、
 家ではいつも緊張していました。

 私が物心ついて30年余り、
 父が家にいるとピリピリした雰囲気になり、
 いつもケンカが絶えないものでした。

 末期ガンとわかって治療を放棄するのも、
 昨年11月に「あと二、三日」と医者に言われて、
 別居先のアパートで孤独死を決意したのも、
 この怒りの表れの極みだと思います。

 しかし、最後に奇跡のようなことが起こりました。

 たまたま、孤独死を決意した父に電話をかけた、
 高校のご友人が容態の異変に気づき、
 医者のご友人を連れて半ば強制連行の形で父を入院させました。

 翌日、緊急手術で、一時一命を取り留めました。

 このとき私はたまたま高校の友人の結婚式に招待され、
 沖縄に帰省する機会があったのですが、
 そこで初めて父の病気のことを知りました。

 帰省中の一週間、毎日父の病院に面会に通って
 父と時間を過ごすことができました。
 ただこのときですら、
 まだ父は父の周りで起きている小さな偶然の連続の意味、
 自分が生かされているということは、
 まだ理解できていないようでした。

 そのあと、私は東京に戻り、
 父は11月末に一時退院するのですが、
 偶然の糸が続いて、
 10年余り戻ることのなかった家に戻って、
 最後の日を過ごすことになります。

 以前でしたら口論が絶えなかったのが、
 ケンカ腰で正論を押し付けていたのが、
 このときにはただニコニコと受け流して、
 とてもリラックスして過ごしていたようです。
 それはとても満ち足りた幸せな一ヶ月余りだったようです。
 幼い時から、
 いつもケンカ腰で、不満を溜め込んで、
 こらえて、怒っている父を見てきた私にとっては、
 生まれ変わったとしか言いようがありません。

 神も仏も天国も地獄も輪廻も信じない、
 根っからのマルクス唯物論者の父にとって、
 死後の世界が実際どうなのかは興味がなかったと思いますが、
 この生で幸せになったことは、
 この生で生まれながらにして救われたこと、
 人がなぜ生きているのか、
 その意味を悟ることができたと息子として確信しております。

 父の最後の幸せな一ヶ月余りは、
 またこれまで30年余りバラバラだった家族が
 やっと一つになった時間でもありました。

 兄の私は東京にいて、幸せな父を妹伝いで聞いて、
 実際自分の目で見ることができなかったのは多少心残りですが、
 兄妹ともども、父が死ぬ前に幸せになれた、
 間に合ったぁ、本当に良かったぁ、と思っています。

 幸せな最後の一ヶ月余り、
 父はきっとこんなことを感じて日々を過ごしていたと思います。

 この会場にいらっしゃる方、
 いらっしゃれない方、
 これまでの人生で出会った全ての人、

 いろいろ苦労や迷惑をかけて悪かったサァ、
 いろんなことがあったけどもういいサァ、
 これまで大切にしてくれて、本当にありがとう、
 あなたと会えて幸せだったサァ

 死後の世界はよくわからんけど、
 毎日毎日、僕らは生まれ変わっているからサァ、
 みんな、苦しみや悩みから自由になって、
 これからの人生、幸せになってね。

 きっとこんなことを言っていたと思います。

 あまりこなれておりませんでしたが、これで挨拶と致します。
 本日は誠にありがとうございました。


◆ 場を抱きしめて

 挨拶の常套句を読み上げて、いよいよ本文を読み始めようとしたとき、私は背筋に沿って下から何かが立ち上り、胸の後ろ側の背骨に、むせび泣いているように激しく振動するような感覚を覚えました。そして溢れる想いに涙がこみ上げ、私の声は一瞬、上擦りました。圧倒するような想いを冷静に感じ続けていると、そのうち強い振動の感覚は静まり、その後、私の体全身が静かな光を放っているような細かな感覚を覚えました。声の調子も元に戻り、私は挨拶文を読み続けました。
 そのとき、私はその場全体を抱きしめるように立っていました。

 葬儀が終わって、ゲンタが私にこう聞いてきました。
「お父さん、お葬式のとき、悲しくて泣いたんじゃないんだよね?嬉しくて涙が出たんでしょう?僕も感じたよ。」

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