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10. 痛みと上手に付き合う方法

◆ タイ・マッサージ

 次の日、病室に入ると、父と同じ年頃のご夫婦が病室に来ていました。お二人は父の模合の友人で、その前月の10月、模合仲間で行ったタイ旅行のアルバムを持ってきてくれたのでした。父や仲間の写った写真を見せてもらいながら、しばらく話していました。
 その方がこう言っていました。
「・・・タイに行ったのは、つい二、三週間前で、あのときはピンピンしていたからサ、入院なんて聞いてびっくりしたサァ。・・・だけど、そういえば、終盤にタイ・マッサージを受けたあたりから、少し調子悪そうに見えたかなぁ。・・・」
 ご夫婦はしばらく父と談笑すると、そのアルバムをお土産に置いて、帰っていきました。
 ご夫婦が帰った後、私は父に言いました。
「父さん、タイ・マッサージを受けたんだね。」
 父は、片手を口に添えて恥ずかしそうに笑いながら
「実は、そんな真面目なものじゃなくて、ただ若い女の子にこの辺をマッサージしてもらっていただけなんだ・・・」
 そう言って、太ももの付け根のあたりをさすりました。
 太ももの付け根、ソケイ部にはリンパ節が集中していて、マッサージでも大切なポイントなのですが、父はただ自分のスケベな動機にしか意識が行っていないようでした。
 ガン患者がマッサージを受けることの是非については、いろいろな説や噂があるようですが、私はこのとき、このマッサージのおかげで、父の体の中で自然治癒プロセスがトップギアに入ったと感じました。もちろん、本人にとっては苦しいものだったのでしょうが、リンパが刺激されてお腹に水が溜まりだし、自然と断食するようになり、その後、死にかけたものの、結果的に父の体に必要なものをおいしく食べられるように体調を整えるきっかけになったと見取りました。
 そして、まだ照れている父を見て、この人はなんて幸運な人なんだとつくづく思いました。このときも改めて、父の体はまだ生きようとしていると感じました。

◆ 鎮痛剤が効かない

 その日あたりから、父はときどき左手で右肩と首のあたりを押さえて、右肩をそびやかして「シッ!」としかめっ面をするようになりました。そしてこんなことを言いました。
「首のリンパ腺が腫れてヨー。痛いんだよね。鎮痛剤を飲んでも痛みが治まらないから、看護師さんに『この鎮痛剤効かないよ、もっとちゃんとしたのをくれよ』って頼んだら、『あれー、ユーアサさん、もう痛みなんて感じないんじゃないですか?』だって。嫌になっちゃうよ。」
 ガン発覚から延命治療を放棄していた父は、鎮痛剤としてモルヒネを服薬していました。
 私は父にこう語りました。
「僕ね、痛みの原因には大きく分けて二種類あるように思うんだ。
 一つは、痛みの原因が自分にない場合。例えば、針が刺さったり、火の中に手を突っ込んだ場合。こんなときは、痛みの原因を取り除けば、例えば、針を抜いたり、火から手を離したりすれば、そのうち痛みがなくなる。
 もう一つは、自分で痛みを作り出している場合があると思うんだ。」
 父は解せないような顔でした。私はこう続けました。
「僕もね、子供のときからの頭痛持ちだけど、最近、この頭痛は自分で作り出していることに気づいたんだ。
 今まで、頭痛のときは、薬を飲んだり、薬を飲んでも効かなくなってきたら、気を逸らすことに躍起になって、とにかく痛みから逃れようとしていた。
 だけど、逆に痛みを感じてみようと、意識の照準を頭痛の感じる個所に当ててみるんだ。最初は、ただ頭がイタイ、イタイと漠然と痛みを感じているのが、そのうち、頭全体ではなく、孫悟空の頭の輪が締めつけられるような、ギュッとした痛みがあると感じる。やがてこめかみのところに特に強い痛みがあるように感じてくる。そして今度はこめかみにと、意識の範囲をだんだんと狭めてみる。もうここまでくると、痛みも鈍痛になっていて、最初の逃げ出したくなるような激痛はなくなっているのに気づく。
 こめかみの痛みに意識を置き続けていると、だんだんと痛みではなく、筋肉が強く収縮した感じに気づく。そして、さらに意識を置き続けると、それまでギュッと緊張しっぱなしだったこめかみが、ドクドクゆっくりと大きく脈打つような感じがする。そのまま意識を置き続けると、次第にその波が細かく早くなっていく。この波が細かくなっていくごとに、より不快なものに感じて、思わず意識を逸らしたくなるのだけど、それでも意識を置き続ける。やがてその波が消えると、そのときこれまでの波に感じた不快さとは比べ物にならないほどとても不快な感覚を感じる。ここに来て、初めて気づくんだよね。あぁ、僕はこの不快な感覚を感じたくないために、こめかみの筋肉をギュッと緊張させ続けて、緊張させ続けて、どんどん頭を締めつけて、頭痛を作り出していたんだって。
 だけど、これがわかったからって、これっきり頭痛が消えるわけじゃない。頭では頭痛なんて自分が作り出していると知っていても、これまでの癖だから体に染みついた条件反射で頭痛は起こる。ただもう、その正体は知っているから落ち着いて何度も何度も落ち着いて意識を置き続ける。そのうち、体に染みついていた痛みを作り出す癖がなくなってきて、激痛が起こることがとても少なくなったし、たとえ起こってもすぐに収まるようになった。まだ、鈍痛が起こることは多いけど、いつかなくなると思っている。
 ひょっとしたら、父さんの肩の痛みもそれで収まるかもしれないよ。最初は意識を置き続けるのは難しいかもしれないけど、そういうときは今やっているみたいに痛いところに手を当てるんだ。そして、最初はゆっくりお腹で息をする。そのときに、自分の手から息が出たり入ったりしているような感覚を感じてみて。」
「だけど、俺には腹式呼吸が難しいんだよな。お腹に水が溜まっていたからな。」
「別に難しいこと考えなくていいよ、リラックスして大きく呼吸すれば。他のことに気が散らなくなれば、大きな息じゃなくて自然な息でいいんだ。重要なのは落ち着いて意識を置き続けることだから。」
「意識を置き続ける、ねぇ・・・」
 そう言いながら、父は背中をベッドの背もたれに預けて、左手を右肩に当てたまま、目をつぶり、大きく息をし始めました。

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