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8. 父の別居先

◆ 別居先の掃除

 翌日は、父が軽い手術をすることになっていたので、その日の面会は控えることにして、代わりにツグミと一緒に、父の別居先のアパートの掃除をすることにしていました。
 父の入院前からアパートに通っていたツグミによれば、体が動かず十分に掃除もできなかった父の部屋の散らかりよう、汚れようはひどいもので、むくんだ父が放つ死臭のような臭さが充満していたそうです。特にユニットバスの汚れ・臭いは入院後数日経ってもひどく、ツグミは自分一人であの部屋を掃除するのは絶対嫌だから、私にも手伝ってほしいということで、掃除に行くことになったのです。
 私とユウゾーと掃除に行く前に、ツグミはユニットバスに洗剤を撒き散らしてきてくれていました。
 ツグミについていって、アパートの戸口まで来ると、ツグミは
「一旦、お風呂場の洗剤を流して、換気してくるからちょっと待っていて。」
 と言って、ドアを開けると、まるで強襲をかけるように勢いよく部屋の中へ入り、ドタドタと奥へ駆けて行きました。
「アァー!、アァー!、臭い、臭いー!」
 ベランダの窓が開けられて後、勢いよく噴き出すシャワーの水の音が聞こえました。
 しばらく経って、水の音が止み、ツグミが戸口に出てきて、OKのサインが出たので、私とユウゾーは中に入りました。
 父の別居先の部屋に私が入ったのは、このときが初めてでした。
 玄関から、ユニットバスの側を通って、台所付きワンルーム。そこには、ウィークリーマンション備え付けの、冷蔵庫、食器棚、テーブルセット、タンス、ベッドと中型の液晶テレビ。
 テーブルセットの向こうのベランダ側には、収納ケースが高く積まれていて、収納ケースの上や周り、テーブルの上にはごちゃごちゃと物が散らかっている。
 台所は、汚く使っているようではないけれども、レンジや流しの周りは溜まった油汚れや水アカがべっとりとしぶとそうに付いている。
 長年、単身赴任で一人暮らしをしてきた父のことですから、家事が全くできないというわけではありませんが、あまりにもひどい部屋の有り様でした。まだこれでもツグミがあまりにも目につくものは事前に片付けたというのだから、よっぽどひどかったのでしょう。
 この部屋は、孤独死を待っていた父の心境が表われているようでした。
 ツグミはユニットバスを洗い、私は部屋の奥のベランダの方から散らかったものをまとめながら、掃除機をかけていきました。ユウゾーも実家から持ってきた雑巾で私の後について床を拭きました。
 テレビ台の下にはDVDがいくつも散乱していました。レンタルではなく購入したもののようで、収納ケースにまとめられたものもありました。散らかったDVDを片付けるついでに、それらのタイトルを見てみると、父が若い頃に見た洋画の青春ものの他は、古い西部劇やアクションもの、中にはかなりハードボイルドなものも含まれていました。父が正義のヒーローと悪者がはっきりしている、勧善懲悪な話が好きなことは知っていましたが、残酷・非情なものまでわざわざ買って見るとは、父の心のすさみ様がうかがえました。

◆ 父の死亡広告案

 テレビ台の下を片付けて後、冷蔵庫の方に移動すると、冷蔵庫に扉にメモが張ってあることに気づきました。
 そのメモには、孤独死したところを発見されたときのために緊急連絡先として実家やモミジの電話番号と、父自身が考えた自分の死亡広告案が書いてありました。
 沖縄では、一般の人でも、告別式当日、地元紙朝刊に死亡広告を掲載するのが一般的です。沖縄では社会人になると誰もが地元紙を取り、毎朝、死亡広告欄で知人の名前がないか確認するのが、日課でもあります。
 父が作成した死亡広告案には、故人の死亡時刻や享年に続いて、葬儀の情報はなく、以下のような文章で締めくくられていました。
「故人の遺志により葬儀はいたしません。みなさま、お世話になりました。」
 いかにも父が言いそうなことだと私は思いました。父は無宗教でした。ただ無宗教葬が行われるようになった今日で、葬儀自体を行いたくないというのは、孤独死を迎えようとしていた父の怒りの表れに見えました。

 三人で掃除を続けているうちに、こんな部屋もだんだんとすっきりしていきました。最後に、ツグミが父の着替えを衣類が乱雑に積まれたタンスからいくつか抜きとって、その日は帰りました。
 その日も、ユウゾーは静かでした。

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