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17. 初七日
葬儀も終え、父の遺品も整理して、別居先も片付けが済んで、初七日を迎えました。
その日は、母と妹達の家族で、父の遺骨を納骨したお寺にお参りしました。
その晩は、打ち上げということで、ツグミ一家、モミジ一家、私の一家で居酒屋に行って食事会をしました。母だけは喪に服しているからと言って、家に残りました。
その居酒屋は、父の高校の同級生のお店でした。父が参加していた模合の開かれる店でもあり、父も常連で妹達をよく連れていった店でもありました。
子連れのため早くから店に入っていた私達は、最初は気づかなかったのですが、実はその日が、父が亡くなって初めての模合の日でもありました。しばらく経って模合の方達がだんだんと来店し、店主が私達のことを紹介し始めました。
高校の同窓で同じ職場で勤めていた父の友人の方とも何人か話す機会がありました。その中の一人にあの方がいました。前年、父と一緒に模合の幹事役だった方で、先の帰省の直前に、父が緊急入院することになったとき、父の別居先のアパートまで医者の友人達を連れて行ったくれた父の命の恩人でした。
そして、実はこの方は、父が若かりし頃、長期無断欠勤であやうく懲戒免職というところを免れたとき、父の始末書の保証人として連名で署名してくれた方々の一人でもありました。
一度ならず二度まで父の“命”を助けてくれて、しかも二度あることは三度あるということで、きっと父の生涯の間、何度も父を危機から救ってくれたのであろうこの方に、私も妹達もこのときまでお会いすることがなかったので、ここで初めてお礼を言うことができました。
そのとき、私はふとこんなことを聞きました。
「そういえば、よくわからないことがあるんです。大学も卒業しなかった父がどうしてキャリアで採用されたんですか?母からは高校閥のおかげで採ってもらえたんだと聞いたのですが、本当ですか?」
その方は笑いながら答えてくれました。
「とんでもない。君のお父さんは試験をパスしたから採用されたんだ。当時は大学出ていようがいまいが、採用試験さえ通れば採用されたんだ。特に君のお父さんは英語がずば抜けていたからね、アメリカ人相手の仕事が多いところでは重宝されたよ。ただ君のお父さんはあのとおりイデオロギー的には頑固だったから、思想的に相いれない歴代のトップ達とはいつも距離を置いてきたし、本人の意志というか特性というか、そういうのも相まって出世はしなかったけどね。」
あっ、そうだったんだ、と私は思いました。今でこそ、キャリア採用試験の受験資格は大卒と決まっているものの、当時はまだそうではなかったんだ、と。それまで私は大学中退の父がお情けで採用されたと思い込んでいて、情けなく思っていたのですが、その点が晴れたことにすっきりしました。
「だけど、お金もらっていながら、卒業できなかったのは、やっぱり不甲斐ないサァ。」
そう言って、お茶目に舌をぺロリと出し、頭をかきかき、ハハハと照れ笑いする父がいるような気がしました。
*** *** *** *** ***
これが、私が父の最後に見た、幸せな話です。
ささやかな出来事達が、
とりとめもなげに起こる話。
たいてい誰の目も引かないし、
ましてや誰の口にも上らない話。
別に私に限った特別なことでもなくて、
誰にでも起こりうる、ありふれた話。
心からの祈りを込めて。
みんなが幸せでありますように。
2014/07/07 哲郎
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