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ふれあそび と コンタクト・インプロヴィゼーション

コンタクト・インプロヴィゼーション(Contact Improvisation、略してCI)をご存知の方なら、CI と ふれあそび 、一体、何が違うのかと思う方もいるかもしれません。

結論から述べると、僕にとって CI と ふれあそび は同じです。

それでは、CI をわざわざ ふれあそび と言い換えるのか、というと、それは、借り物の言葉ではなく、自分の心と体にしっくりと来る言葉で語りたいと思ったから。

ここでは、その経緯を書いてみます。

コンタクト・インプロヴィゼーション(CI)とは

ここで、コンタクト・インプロヴィゼーションについて、馴染みのない方のために、少し説明します。

コンタクト(contact)は「接触」、インプロヴィゼーション(improvisation)は「即興」という意味ですが、コンタクト・インプロヴィゼーションは、1970年代、アメリカのダンサー、パクストンさんが考案した接触をともなう即興の形式です。CI 、または、コンタクトとも略されます。

CI は、欧米を中心に世界中に普及していて、世紀末には日本にも伝わってきて、ダンサーや俳優、パフォーマーといった、いわゆる身体表現に関わる人たちの間では、知られるようになってきました。

「・・・で、CI って、いったい何するの?」
この問いに、「 CI は、ふれあいをあそぶ、ふれあいであそぶ、『ふれあそび 』のことです」と僕は答えます。とどのつまり、僕にとって、CI と ふれあそび は同じ意味です。ふれあそび とは何かについては、「ふれあそび とは」をご覧ください。

CI の定義は各自で行うもの

ふれあそび とは」をお読みになられて、「おまえの言っている ふれあそび と CI は別モノじゃ!」と思われる方もひょっとしたらいるかもしれません。僕はそれでも構わないと思っています。

なぜなら、CI の定義は、 CI 実践者それぞれが自分で行うことが CI が始まった頃から勧められているからです。ちなみに、これは、創始者のパクストンさんが CI に制限を設けたくなかったことが理由のひとつだと考えられているそうです。[1]

ですから、CI 実践者それぞれが異なる定義を持っていても、いいことになります。つまり、僕が定義する CI と、別の人が定義する CI が異なってもいいのです。傍から見れば、「あれも CI、これも CI」というわけです。

なので、僕が考える CI を、「おまえの言っているのは、CI じゃない!」という人が現れても、僕は「あなたが CI と考えているものとは、違うかもしれませんね 。でも、それでいいんですよ。別に僕の考えをあなたに押し付けるつもりはありませんので」と答えることになります。

かといって、僕の CI の定義と他の誰かの CI の定義は全く無関係なものと、突き放して捉えているわけでもないので、少し補足します。

たとえば、同じ山を誰かほかの人と別々に登っているとします。同じルートを辿っていても、相手が先に進んでいれば、違った景色が見えることになります。お互い別のルートを上っていれば、それまた違う景色を見てきたことになります。

同じように、お互い CI をやってきても、相手は自分より進んだところから、CI を定義しているかもしれないし、全く別の角度から CI を定義しているかもしれない、と考えるようにしています。

ここで、仮に、相手の経験の方が自分より深く、優れた CI を定義していたとしても、自分の定義を取り下げて、他人の定義に飛びつくわけにも行かないとも考えています。登山でも、今の自分の足元からしか進むことができないのと同じで、今の自分の CI の定義は今の自分の現在地で、そこから始めるしかないと思っています。

そういった意味で、互いの CI の定義をはじめとして、体験したこと、感じていること、考えていることをシェアすることは、それぞれの道を歩んでいる人同士が、「こっちはこんなかんじ、そっちはどうだい?」と遠くから声をかけ合ったり、手紙をやりとりしたりしているようなものだと思っています。

このように考えている僕は、ときに CI について相手の言っていることがわからないとき、ひょっとしたらこれから先、それがわかるような体験をするかもしれないと、僕はワクワクするのです。

参考文献:[1] 福本まあや (2014). コンタクト・インプロヴィゼーションという即興 ダンスワーク, 67, 10.

なぜ言い換えるのか?

少し話がわき道に逸れましたが、それでは、
「CI と ふれあそび が同じ意味なら、なぜわざわざ言い換えるの?」

それは、CI を知らない人に、CI について話すとき、自分にしっくりくる言葉で語りたいと思ったから。

CI は、老若男女、障害の有無を問わず、誰でもできるものです。僕は自分が CI を楽しんでいるうちに、この CI を、小さなお子さんから高齢者まで、運動が得意な人 も 苦手な人 も、体や心に障害のある方 も 障害のない方 も、みんな一緒になって楽しめたら、どんなに面白いだろう、そんな場を創ってみたい、と思うようにもなりました。(「四方四季の庭」)

そんなわけで、ダンサーや俳優、パフォーマーだけでなく、およそ身体表現とは縁の遠い、僕のような「素人」の方にも、「一緒に CI をやろうよ」と呼びかけたいわけですが、

「CI って何?」と聞かれても、「コンタクト・インプロヴィゼーションの略」と答えては、もともと CI を知らない人なら「コンタクト・インプロヴィゼーションって何?」と当然、聞き返されるだけです。

CI は、いろいろな側面を持っていて、そんな CI を一言で説明するのは難しいのですが、CI は一応、即興ダンスのように見えたりするので、これまで僕は「即興ダンスみたいなもの」と短く説明した後、「とにかくやってみて!」と言ってきました。しかし、そんな説明では、即興ダンスに興味のない方、特に踊ることに高い敷居を感じている方がやってみようと思うわけもなく、ずっともどかしく思っていました。

実際、僕自身、CI をまだ知らなかった頃、ダンスなんてしたことのなかったので、「即興ダンスみたいないもの」と聞いて、敷居を高く感じましたし、CI のことを聞き知ってから、CI を始めるまで、長い月日がかかりました。

このもどかしさの原因を考えているうちに、このように思うようになりました:
「コンタクト・インプロヴィゼーション」という言葉が、日本語を話す人にとって借り物の言葉から成り立っている。それは、僕自身の心や体から出てきた言葉ではないし、相手にも馴染みのある言葉ではないから、言葉自身には意味を伝える力はない。
それなら、自分の心と体から出てきた、相手にも意味を感じてもらえる言葉で語りたい。

多くの日本人にとって、「コンタクト」と言えば、普通、「コンタクトレンズ」のことだし、「インプロヴィゼーション」に至っては、辞書を引かざるを得ないでしょう。

「コンタクト・インプロヴィゼーション」という横文字言葉が持つ、「新奇性」、「オシャレ」、「カッコいい」ニュアンス、語感でもって、CI を特別な印象を与えるものにしたい人にとっては、そのままで構わないかもしれませんが、

僕自身は、誰でも楽しめるCI を、誰にでも身近で、親しみのある、ありふれたものにしたいと思っています。

それから、CI を通じて、何か新しいこと(知識やテクニック)を獲得するのは、僕にとってはあまり重要ではなく、むしろ もともと自分の中にあって、遠い昔、忘れてしまった何かを思い出すようなことがより面白かったりします。

そういったわけで、僕は、誰にでも身近で、親しみのある、懐かしい響きを持ち、言葉を聞いただけで説明しなくても意味を感じられる名前で CI を呼びたいと思っていました。

「ふれあそび」という言葉の経緯

「コンタクト(contact)」には、「接触」の他に、「触れ合い」という訳語もあります。音は一緒ですが、やや硬い漢字の印象よりは、ひらがなの持つ柔らかい印象が僕の CI のイメージに合っていたので、「コンタクト」は「ふれあい」と対応づけることにしました。

僕は、CI をやっているとき、ふれあい 自体を遊んだり、または ふれあい で生じた何かで遊んだりと、遊びを楽しんでいる印象があります。そこで、「ふれあい」+「あそび」=「ふれあい あそび」を短くして、「ふれあそび」という言葉が思いつきました。今、僕にとっての CI を指す言葉として、それがしっくり感じています。

ちなみに、「インプロヴィゼーション(improvisation)」は、「即興」という訳語がありますが、その訳語として「あそび」を対応づけたわけではありません。「『即興』は、遊びではない、真剣勝負なんじゃ!」と反感を覚えた方は、どうかご承知置きを。

CI を嗜む(たしなむ)人、CI 実践者(practitioners of contact improvisation)のことは、「ふれあそぶ(『ふれあそび』の動詞終止形)」+「ひと」=「ふれあそぶ ひと」を短くして、「ふれあそびと」と対応付けることにしました。やまとことばのおかげで、こんな駄洒落みたいこともできます。

参加者それぞれ自由にふれあそぶ集い(つどい)のことを、CI では「ジャム(jam)」と呼びます。ジャズなどでミュージシャンが集まって行う即興の会を「ジャム」と呼ぶそうで、そこから来た呼び方だそうですが、これも多くの日本人には馴染みのない言葉ですので、「ふれあそびの会」を短くして、「ふれあそび会」と対応づけることにしました。

おわりに

ここでは、僕が CI を ふれあそび と言い換えるに至った経緯について書きました。ここで、いくつか補足します:

僕にとって、「CI」=「ふれあそび」なので、CI に当てはまることは、ふれあそび の名においても当てはまります。つまり、「 CI の定義は各自で行うもの」は、ふれあそびについても同じで、つまり「 ふれあそび の定義は各自で行うもの」です。「ふれあそび とは」で述べた、僕にとっての ふれあそび に捉われず、ふれあそびと それぞれの ふれあそび の定義があって構いません。むしろ、それぞれの定義を持った方が面白いので、是非、持ってください。

それから、僕の文章では、「CI」=「ふれあそび」です。もし僕の文章をお読みになられて、「ふれあそび」に興味をお持ちになられた方は、ぜひ「CI(コンタクト・インプロヴィゼーション)」について調べて、お近くの CIイベントに参加されてみてください。

僕の文章を読んで、一人でも多くの方が、ふれあそび、CI を楽しむきっかけになればなれば、幸いです。

【まとめ】CI用語との対応

・ふれあい:
 - コンタクトのこと。

・ふれあそび:
 - 「ふれあい」+「あそび」。CI 、つまりコンタクト・インプロヴィゼーションのこと。動詞の終止形は「ふれあそぶ」。

・ふれあそびと:
 -「ふれあそぶ」+「ひと」。CI 実践者のこと。

・ふれあそび会:
 - 参加者それぞれが自由に ふれあそぶ 集い(つどい)。CIジャムのこと。





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