ガラクタ修理
「壊れちゃった」と言われて渡されたデジタル・キッチンタイマー。
液晶の表示は映らず、ボタンを押しても、うんともすんとも言わない。
保証期間も とうに過ぎていて メーカーに問い合わせもできない。
仕方がないので、ダメ元で一旦預かる。
分解してみたら、中は油まみれ。
黒ずんで固まった油カスを、エタノールできれいにふき取ってみる。
組み直してみると、液晶に数字が映るようになった。
だけど、依然、ボタンを押しても反応がない。
もう一度バラシて、今度はボタンの端子をもう一度きれいに掃除して、テスターでチェックする。
するとスイッチの基板電極の一ヶ所に、剥げた銅パターンが隣のパターンにまたがっているところがあった。どうやらそこでショートしていたようだ。
極細のマイナスドライバーでショートしたパターンを削り取って、もう一度組み直したら、ボタンにも反応するようになり、キッチンタイマーとして見事復活!
そんなときは、手術に成功した外科医のように嬉しくなって、
「治ったよ!」って相手のところに渡しに行く。
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電子機器は大抵故障するパターンが決まっていて、それは機器のほんの一部で、そこが治れば、ほぼ元通りに使える。
たとえば、キッチンタイマーのような電池で動く身近な小機器は、電極の接続不良かショートで故障することが多く、掃除したり磨いたりしたら、使えることも多い。
そうやって治ったものを持って行くと、喜ばれることもあるけど、
「もう新しいのがあるから、それは要らない」
と言われたりすることがある。
そんな場合、仕方がないので、行き場のなくなったものを引き取って帰る。
そんなとき、なんだかちょっとさみしい気持ちになる。
別に自分は何も失っちゃいないのに。
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ふれあそびで、誰かとふれあうと、相手との間でいろいろなものをやりとりしている。
そのとき、素敵なものを受け取るときもあれば、ガラクタやゴミのようなものを受け取ることもある。(逆もあるから、お互い様なのだけど。)
それを持ち帰って、きれいに掃除して、磨いてみたり、精錬したりすると、実はまだまだ使えたり、思いがけない代物に化けたりするときがある。
嬉しくなって元の持ち主の手元に返したいと思うのだけど、本人にはそれを見る前から断られることがある。
そんなときは、仕方がないので、しばらく自分の手元で預かっておく。
そして、後にそれを必要としている誰かとふれあったとき、それを渡してあげる。
そのとき、「あぁ、この人の手に渡るために、これは僕の元に来たのか」と感慨深い。
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こんな感じで、やりとりしている、目に見えない「何か」が ふれあい にはあると思う。