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13. 父の訃報

◆ 訃報の電話

 年が明けて、二週間ほどたった日曜日、その日は長男ゲンタの誕生日でした。私達家族は、ゲンタの希望で朝から家族だけで誕生日パーティをしました。
 父は毎年、息子達の誕生日の朝には一言お祝いの電話をかけてきました。しかし、その日は電話がありませんでした。私は、父もそろそろ弱ってきたなと薄々感じていました。
 ゲンタがプレゼントを開けて、みんなでケーキも食べて、一段落ついた後、妻と息子達は近くの公園へ遊びに出掛けました。
 前の晩、少し食べ過ぎて調子を崩していた私は独り家に残って、日課の「ストレッチ」をしました。
 それから、独りで昼食を食べている最中、ツグミから父の危篤の電話がありました。
 電話を切った後、とうとう来たか、と思いました。それから、とりあえずシャワーでも浴びようと、浴室に入りました。
 シャワーを浴びながら、父のことを想って祈りました。シャワーから上がって、電話の着信を確認すると、ツグミから留守電が入っていました。私がシャワーを浴びている間に、父が息を引き取ったとのことでした。
 電話を掛け直すと、ツグミが涙声で出ました。
「今、さっき息を引き取ったよ。」
 私は言いました。
「実はな、息を引き取って心臓が止まったからと言って、人間すぐ死ぬわけじゃないんだ。心臓が止まっても、まだ音を聞いたり、触られたりしたら感じることがあるんだ。俺もお別れを言いたいから、電話を父さんの耳に当ててくれないかな。」
「うん、わかった。」
 ツグミはそう言って、父の体をゆすぶってこう言っているのが聞こえました。
「お父さん、テツオから電話だよ。」
 私は電話越しに息を引き取った父にこう言葉をかけました。
「テツオです。父さん、ありがとう、そして、おつかれさま。」
 それからツグミはこう教えてくれました。
「11月末に退院してからしばらく家で過ごしていたのだけど、昨日、容態が悪化して入院して、今朝、さらに容態が悪化して、病院で今さっき亡くなったよ。職場から駆けつけた私は臨終に間に合って最後に少しだけ話せたよ。母さんもそろそろ着くって。」
 電話を切って後、私は一息ついて自分の体を感じ取りました。
 私の体は、朝の霧のように白く涼しい、とても静かな振動に包まれていました。
 私としては、旧友からのメールで触発されてかけた、今となってみれば最後の電話で伝えるべきことは伝えた、やれることはやったという思いがありました。ですから、このとき、父の死をとても冷静に受け止めていると感じていました。

◆ 斎場の安置部屋

 しばらくして公園から妻と息子達が帰ってきたので、家族で荷造りして、すぐに沖縄へ向けて発ちました。年始休みも終わってシーズンオフだったおかげで、その日の最終便の飛行機もホテルも難なく取れて、また日曜の夕方だったので、空港までの子連れの移動もラッシュに悩まされることなく、スムーズに進み、その日の真夜中には父の遺体が安置された斎場へ着くことができました。

 斎場は実家の近くにありました。私達家族が着いたとき、斎場の安置部屋には、母とツグミと二人の姪、モミジ一家がいました。
 父はまだ棺には入れられず、ドライアイス入りの布団の中で横になっていました。
 父の顔は、本当に安らかで、口には少し笑みさえ浮かべてようで、まるで眠っているようでした。顔も体もとてもリラックスしているようでした。
 私は、布団から出ている父の頭と顔を撫でました。ドライアイスで冷やされて、とても冷たい顔でした。私の真似をして、ユウゾーも小さな手で父の頭と顔を撫でました。
 一段落ついてから、私は妻と息子達を寝かせるために妻子を連れて一旦近くのホテルにチェックインし、また斎場に戻ってきました。私が戻ったときには、母には休んでもらうために、モミジが母を家に送った後でした。
 葬儀の手配はモミジが取り仕切ってくれていました。沖縄では通常亡くなった日の翌々日に葬儀をするのですが、火葬場が混んでいて、さらに一日延びることになったと教えてくれました。
 その晩から葬儀までの三夜、私と二人の妹で父の前で線香を継ぎ足しながら夜を明かす、添い寝が始まりました。
 そこで、私は、先の帰省で私が東京に戻って後のことを、妹達から聞きました。

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