見出し画像

9. 「本物」の何か

 次の日、父の病室に入ってみると、ベッドに父の姿はありませんでした。廊下に顔を出すと、父が点滴台を押しながら病室に戻ってくるところでした。酸素マスクがなくても動けるようになっていました。

◆ フォース??

 その日、私は、父の話を聞く代わりに、私が父に伝えたいことを話すことにしていました。
 父は、根っからのマルクス唯物論主義者で、目に見える物質しか信じていない、科学万能主義の人間でした。だから、神も仏も、あの世も輪廻も、そんなもの信じていなくて、ある意味刹那主義でした。とはいえ、心のどこかで何か大きなものがあると感じていたようで、私が小さいときから、何かと宇宙にロマンを求めていました。宇宙論に何かすがっているようでした。父の宇宙論へのイメージは、父の身近な日常とはかけ離れたもので、現実味に欠けたものでした。それは、ただ自分の知的好奇心を満たすものだけでしかありませんでした。つまり父の人生観、人間観、社会観、自然観、世界観、宇宙観、そう言ったものを統一するようなものではなかったのです。
 さて、そのような父に、科学的に説明できない、目に見えるものの向こうにある「本物」の何かについてどう切り出せばいいのか、私は悩みました。とりあえず、父との共通項を探ろうと、こんなことから話し出しました。
「僕さ、自分の心と向き合うことを始めたんだけどさ、そうすると今まで素通りしてきたものの中に、真実があることによく気づかされるんだよね。そんなとき、『俺の目は節穴だった!』って愕然とすると同時に、目が開いて世界が鮮やかに見える瞬間があるんだよね。」
 私はここで短い沈黙を置きました。そして続けました。
「たとえば、これまで『スターウォーズ』って、どこか遠い銀河の果てのおとぎ話かと思っていたけど、あれは、そうじゃない。まさに僕達のこの世界のことを表しているんだ。あの映画の中に出てくる『フォース』って本当にあるって思えるようになってきたんだ。」
 これを聞いて、父は、おいおい、自然科学を学びに大学まで行かせたっていうのに、ちょっと待ってくれよ、というような困った顔をしていました。
 私は思い出しました。そういえば、私が高校生のころ、当時CGでリマスタリングされた「スターウォーズ」を映画館で見て、無邪気に「あの映画はすごい、面白い!」と興奮して父に語ったとき、父が「ありきたりなSFファンタジーだ」という否定的な評価だったことでした。
 私は、持ち出した話題が悪かったと気づき、切り口を変えてみることにしました。

◆ 「風」

「他に、ボブ・ディランの『風に吹かれて』の『風』が何を表しているか、わかるようになった。何か『本物』に触れられると、『風』に吹かれている感じがするのがわかるようになってきたんだ。そして、あぁ、『風に吹かれて』の『風』って、これのことだったのかって、わかったんだよ。
 今までさ、音楽の演奏って、難しいのを正確に演奏するのがすごいことだと思っていたし、なんか高いお金を払って有名な人のそういう演奏を聴きにいくのがいいのかと思っていたけど、そうじゃないってようやくわかった。というのはさ、この前、近所のお祭りのステージで、地元のアマチュアのジャズバンドの演奏があったんだ。そのバンドのメンバーは平均年齢65歳の、かなりシニアなバンドで、その中で最高齢の90歳のおじいさんがサックスのソロする演目があったんだ。聴いていたら、そのおじいさん、うまく弾いてやろうっていう力みとか、みんなが見ているっていう固さとか、そんなてらいも迷いもなかったんだ。そのおじいさんは、まるでその場に聴衆なんて誰もいなくて、自分独りだけでいるかのように、ただただ気持ち良さそうにサックスを吹いていた。それを聴いていたら、高原で涼しい風を受けているそんな気持ちのいい感覚に包まれたんだ。あぁ、これが音楽の本当の楽しみ方なんだって、初めて気づいた。それに気づいてから、近所の小さな祭りのステージだけど、子供たちの和太鼓や無名バンドの演奏で、彼らが心から楽しそうにパフォーマンスをしているとき、そんな感覚を感じて、あぁ、『本物』ってこれかぁ、気づいた。今まで、下手だとか無名だからといって素通りしてきたものの中に、『本物』があることがやっと分かってきたんだよね。父さんもそんな経験ない?」
 父は語りました。
「あぁ、去年、那覇の大きな祭りで、その日のステージに出る有名バンドを目当てに、会場でビール飲みながら待っていた。待っている間に、前座のローカルバンドの演奏があった。初めはそんなバンド知らないのもあって、あまり期待せずに飲んでいたんだけど、聴いているうちに、だんだんと、血が騒ぐというか、胸が躍り出すっていう感じになってきて、そのうち体の底から楽しいー!っていう感じになってきて、いつのまにかそのバンドの演奏をノリノリで聴いていたサ。そのときは楽しかったなぁ・・・。それに比べて、その後のお目当てのバンド演奏は、何かただギャラの分だけこなしている、そんな感じがして興醒めしてしまったよ。」
 父は、軽く拳を握って体で緩やかにリズムをとりながら話していました。
「そうそう、それが『本物』が出す何かなんだよ。」
 私はそんな相槌を入れたのですが、父はもう私にかまわずに、生き生きと続けました。
「それから、父さんサ、そのバンドの追っかけみたいになってサ、そのバンドのWebサイトでライブ情報をチェックしては、(那覇のお祭りの)ハーリー会場やショッピングモールを回っていた。孫娘二人も連れていったりしてね。だけど、そのバンド、単体だと、いまいち乗りが悪いんだよね。コラボレーションする他のグループがいると、感じがいいんだけどね・・・」
 父はそのバンドについてとても楽しそうに話し続けました。そして、息切れしてくると、ちょっと休むと言って、横になりました。けれども、顔はとても穏やかで満足そうでした。
「そうそう、それが『本物』の出す何かなんだよ。」
 私はそう言いました。

 落ち着いてから、父は静かにつぶやきました。
「武道家の言う『気』ってやつもこんなことなのかなぁ。」
 父に武道経験はないはずでした。科学で証明されていない、けれども昔から人々が感じてきた、目に見えない何かのことを父が考えるようになっただけで、そのときは十分だと私は思いました。
「うん、うん。とにかくリラックスしてね。」
 私はそう言って、父と握手をしてから、おとなしくしていたユウゾーと一緒に病室を出ました。

→ 「10. 痛みと上手に付き合う方法 」へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?