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僕が ふれあい について確かめたいこと

ある時期、近所にある、知的障害を持つ方が利用する福祉作業所で開かれる、毎月定例の誕生日会にお邪魔していたことがあります。

誕生日会では、利用者のみなさんが順々に好きな歌を歌ったり、踊ったりするのですが、いつも僕はそんなみんなと一緒に踊ったり、遊んだりしていました。場が盛り上がって、みんなと一緒に大はしゃぎすることもあるのですが、その年の12月、慣れない外出が続いて疲れが溜まっていた僕は、その月の誕生会でただその場にいることがありました。

当時、すでに半年以上通っていて、利用者のみなさんとも顔見知りになってきたので、普段ならとても親しげに接してくれる方も多いのですが、その日は、ノリの悪い僕を気遣うかのように、ほとんどの方が僕をそっとしておいてくれました。

そんな中、僕にしきりに話しかけてくる方がいました。彼は僕が初めて作業所を訪れたときから、親しく接してくれていて、毎月の誕生日会の彼の出し物では、いつも一緒に踊ろうと僕を誘ってくれます。そんな彼とは出し物のことで話が盛り上がるのですが、それだけでなく、「ねーねー、元気?」とか「ねーねー、これ、5万円、買う?」とか「ねーねー、これ、どこで買ったの?」とか、彼はとにかくしきりに話しかけてきます。誰に対してもそのようで、お疲れのスタッフの中にはそういう彼との会話をときどき煙たがる表情をする人もいたりします。(現場はものすごく多忙なので、これもまた仕方がないことです。)まぁ、マイペースに積極的に話しかけてくる方でした。

その日、彼の出し物までは、その出し物の準備のことを、ずっと話していました。

彼との出し物が終わって、疲れを感じた僕は片隅のベンチの端に腰を下ろし、肩を落とし、背中も曲がって、力なくボーッと座っていました。冬至の前日の柔らかな陽の光が差し込む大きな窓の下でした。

そこへ彼はやってきて、「ねーねー、さっきの出し物、すごかったねー」と話しかけてきたので、僕らの出し物について一通り話をしました。

いつもなら、一通り話が終わり、沈黙が来ると、たいてい彼は別のところ行ってしまうのですが、この日はちょっと様子が違いました。
沈黙が来ると、彼は僕の右隣に腰掛け、黙ったまま僕の右肩の後ろに自分のおでこをつけました。
押してくる彼のおでこに僕も右肩を通して背中をもたせかけます。
二人とも黙ったまま、触れ合って座っていました。

しばらくして、彼は立ち上がり、何も言わずにどこかへ行ってしまいました。その日、彼とはそれっきりでした。

見過ごしてしまいそうな、他愛もないことですが、僕ら二人の間で、こんな沈黙があったのは初めてのことでした。

その時期、疲弊して、すっかり心が閉じている僕には、このとき、彼から何をもらったのか、彼が何を引き受けてくれたのか、全くわかりませんでした。ただ、僕と彼との間に何かやりとりがあった、とても重要な意味のある ふれあい だったのは確かだと思いました。
僕が気づいていようがいまいが、きっと日常ではこんなさりげないやりとりが繰り広げられていると改めて感じた日でした。

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「はぁ〜?こんなこと、書いて一体何になるんだ?」と、かつての自分、あるいは自分の先を歩む人たちの両方からのブーイングが聞こえてくるような気がしては、もっと繊細な心で以って自ら体験し、もっと明確に説明することができるのなら、あるいはもっと美しく描写ができるのなら、いいのにと自分でも残念に思っています。

だけど、
今の自分には見えなくて、わからないけど、
そういうものがあるような気がしていて、
それを自分自身で確かめるために、
今、僕は生きています。

このことを、忙しくなって疲れてくると、僕はよく見失いがちになります。そこで、忘れてしまわないように書き起こしてみました。

ありふれた日常の意味を見透すことができますように○3
てつろう拝

【改訂履歴】
v0.2、2019/08/14 「ふれあそびと」向けに編集
v0.1、2018/12/22 FB投稿

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