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12. 父との電話

◆ 昔の日記

 東京に戻った私は、帰省前に東京で再会した旧友に「どうしてテツオはあんな作文を書こうと思ったのか?」と質問されたことをふと思い出しました。
 先の帰省中、コピーした自分の作文を読み返して、書いた内容を思い出したものの、一体、当時の私が何を考えていたのか、どうしてこんな作文を書こうと思ったのかについては、やはり思い出せませんでした。
 そこで、帰省中に整理して東京の家に送っていた段ボール箱の中から、学生時代につけていた日記を取り出しました。
 この日記は、私が中学校三年生から二十歳のころまで付けていたものでした。大学に入ってからは気の向いたときにしか書かないようになって、次第に止めていましたが、中学・高校の間は割と毎日書いていました。実家でこの日記を見つけたとき、ページをペラペラ繰ってみると、かなりの量を書いてあるのがわかったので、その場では読み返さず、とりあえず東京に送る段ボール箱の中に入れてあったのでした。
 最初のページ、中学三年の冬の日記から、私は読み返しました。
 そこには、当時のテツオの心境が赤裸々に綴られていました。
 あの作文を書いた高校一年のころのテツオは、人と親しくなりたいと思っていても、人とどう接すればいいのかわからず、人と距離をいつも取っていました。
 当時は気づいていませんでしたが、裏切られて傷つくことが怖くて、心に鎧を着せていていました。それも近くなれば近くなるほど、分厚い鎧を。
 日記を読んでいるうちに、父が肩をいからせ、歯を食いしばって不満を溜め込んでいる姿が頭にふと浮かび、当時の自分と重なりました。臆病な自分の恐れを隠そう、強くなりたい、とこらえてきたが、こらえようとするのは、父から引き継いだ癖なんだと、そのときはっきりと悟りました。
 当時のテツオは、そんな臆病な自分を見るのが嫌で、強く孤高でありたいと思っていました。しかしそう思いながらも、孤独に耐えられず苦悶していました。そのたびに、弱い自分の心の周りに壁を築き続ける、そんな怖がり屋でした。
 そんなテツオにとって、あの作文の後半にある、あのバス停でのイベントはとても印象的だったようです。その日の日記には、作文の該当箇所と同じ内容が、ほとんどそのまま書いてありました。
 日記には、作文を書いたことについては、何も書かれていなかったので、結局、何を思って書いたのかはわらないのですが、あのバス停での出来事に見た、人との心の触れ合いに感じた、キラキラ輝く希望に導かれるように、あとは書きたいようにあの作文を書いたんだと思いました。
 けれども、人との触れ合いに希望を感じてあの作文を書いた後も、臆病なテツオは傷つくのが怖くて、人と親密になることを無意識のうちに避け続けていました。
 一方で、あの作文が校内放送で流れてから、なんだかテツオの周りがテツオに優しくなっていることが、日記の記述から読み取れました。それでも、当時の臆病なテツオは、依然として期待が裏切られるのを恐れて、無意識のうちに周りの優しさは移ろいやすいもので当てにならないものだと言い聞かせて、壁を築き続けました。
 テツオが心を開いたのは、あの作文を書いた一瞬だけでしたが、あの作文を通して、心を開いて気持ちを出したら、その気持ちが周りに伝播して、めぐりめぐって自分に廻ってきていました。そのおかげで、その後もテツオは壁を築き続けたにも関わらず、テツオの周囲の人々は、高校時代も卒業後も、ずっと温かく、優しく接し続けてくれていました。
 臆病で人付き合いの下手なテツオがどうして高校生活を潰れてしまわずに過ごせたのか、それはあの作文を書いた一瞬にかかっていたことが、よくわかりました。
 ただ、臆病なテツオが強くなりたい一心に心に壁を作る癖は、それからもどんどん強固になっていき、日記を止めていった二十歳のころには自分の心がわからなくなって苦悶していました。そして10年後、ついには人生そのものに行き詰まることになったのだとわかりました。
 そう、このとき日記を読み返して、臆病な私が抱いていた、人に裏切られるかもしれない、傷つけられるかもしれないという恐れは私の創りだした幻で、私以外は誰も私を傷つけられない、と私はようやく気づいたのでした。

 それに気づいたとき、何が起こったと思いますか?

 今まで自分を傷つけてきた人の全てを赦したくなる感じ。
 今まで自分が傷つけてきた人に全てを謝りたくなる感じ。
 今まで自分を大切にしてくれた人に感謝したくなる感じ。
 今まで自分が大切にしていた人に素直な気持ちを伝えたくなる感じ。

 愛憎入り乱れた複雑な気持ちを抱いて、
 ガンジガラメになっていた心が
 空に解き放たれた感じ。

 今まで体全体にまとわりついていたのが、
 さわやかな風に全部吹き流されて、
 体がフッと軽くなる、そんなさわやかな感じ。

 優しい気持ちに包まれる感じ。

 そう、自由な感じ。

 それは、ほんの一瞬のことでした。


◆ 電話のきっかけ

 私は、帰省前に再会した旧友の一人に、帰省中の父との出来事をメールで伝えました。彼女が自分のお父さんが亡くなったときの話を返信してくれたのは、まさに私が昔の日記を読み返した後のことでした。
 メールには、彼女のお父さんの最期に、彼女とそのご家族に起きた奇跡のような話が書かれていました。
 そのメールをもらうまで、私は先の帰省で、父にできることは精一杯やったつもりでいました。
 特に、父に話しておきたかったのが、「本物」の何かについてでした。根っからのマルクス主義者の父に、それを伝えることは一苦労で、入院先の病院に通っては、「スターウォーズ」の「フォース」やら、ボブ・ディランの「風に吹かれて」の「風」なんてことまで、引っ張り出して、話をしたのを思い出していました。そして、「伝えたいことを全て伝えられたわけではないけれど、まぁ、やれることはやったからいいかなぁ、後は本人次第だから」とも思っていました。
 しかし、彼女のお父さんの最期の話を読んだとき、何かお腹に重いものが残っているような気がしました。彼女からのメールには何か意味があると直感を覚えました。そして、やはり核心は言葉にしておかなければならないと思い直し、父に電話をかけることにしました。

◆ 安らかに死ぬために

 もう年の瀬、12月に入って、父が入院してからちょうど一ヶ月が過ぎていました。医師から宣告された余命を過ぎ、いわば余命マイナス一ヶ月目を迎えていました。
 電話をかけると、父は調子が良さそうな声で出ました。まず、状況を聞くと、「もう退院したサ」と父は答えました。何も知らされていなかった私は回復状況に安堵してから、「じゃー、今はあのウィークリーマンションで暮らしているの?」と聞くと、「いや、実家のアパートで、お母さんやツグミ達と暮らしているよ。」と父は答えました。
 私は予想外の答えに大変驚きました。先の帰省で、私がテレビの部屋を片付け始めようとしたときの母や妹の猛反発、あれは夢だったのだろうか?私は一瞬、唖然としました。
 気を取り直した私は、再び話し始めました。
「実は、この前、父さんに話しきれなかったことを伝えておこうと思ってさ。」
 フム、と父はうなずきました。
「父さん、悲しみとか淋しさとかネガティブな感情を感じると、グッとこらえてしまう癖があるでしょ。僕も父さんと似ていて、同じようにこらえてしまう癖があるんだ。」
 フム、と父は電話越しにまたうなずきました。私は続けました。
「ネガティブな感情を感じるとき、同時に体のどこかで強張りを感じるはず。例えば、肩に力が入っているとかね。その強張りに意識を置いて、ゆったりとした呼吸から始めて自然とリラックスすると、今度は不快な感覚を感じるはず。それが、グッとこらえてきた感情に対応する感覚で、今まで力を込めて隠してきたものなんだ。だけど、その不快な感覚を味わうようにリラックスして感じ続けていけば、いつかは消える。このことは、このまま生き長らえるためにも、安らかな死を迎えるためにも、重要なことだから、覚えていて。」
 フム、フムとさも納得しているかのように父がリラックスしてうなずくのが聞こえました。これには私は少し拍子抜けしてしまいました。今までの経緯から、なんだか解せないような反応が父から返ってくると予想していた私は、父にそんなにすんなり聞き入れられるとは思ってもいなかったのです。
 また気を取り直して、今度はこう聞きました。
「父さん、僕が前に渡したマッサージの本、読んだ?」
「あぁ、あの本ね。父さん、『リンパ』ってのは嫌いなんだ。」
「父さん、今、父さんが生き長らえているのは、10月のタイ旅行で、タイ・マッサージを受けたのも大きいんだよ。」
「アッシ、テツオ君!だからアレはそんな真面目なもんじゃなくて・・・」
 父が照れ笑いしながら答えます。私はさえぎりました。
「真面目だろうが不真面目だろうが、自分の体をマッサージすることは、長生きするのに大事なことだから、ちゃんと読んで自分の体を大事にしてね。」
「うーん・・・、わかったサ」
 それから父はこう言いました。
「テツオくん、これからカラオケに行くところサ。なんか大きな声を出すのが、体にいいみたいだしサ。それじゃーネ。」
 電話を切ったとき、安らかに死ぬために大切なことを父に伝えられて、自分としてはやれることはやりきったと思いました。
「父がいつ死んでも悔いはない。」
 私はそうつぶやきました。

 年が明けて、東京の家にモミジから年賀状が届きました。そこにはこう書いてありました。
「父さんと母さんが『気味が悪い』くらいに仲がいい」
 仲がいい父と母なんて物心ついてから私は見たことがありませんでした。もしそんな光景を目にしたら確かに「気味が悪い」、私は思わずフッと吹き出しました。

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