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鉄道ロジスティクスの可能性を切り開く #01【JR貨物 日本貨物鉄道株式会社】

ロジ人では物流テックと分類される業界の著名人、サービスにフォーカスしていきます。今回はJR貨物 日本貨物鉄道株式会社で鉄道ロジスティクス本部 総合物流部長を務める五島 洋次郎さんと、総合営業開発グループの渡部 純也さんにインタビューしました。#01では、「貨物輸送業界の役割」についてお話いただきました。

<プロフィール>

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▼ 鉄道ロジスティクス本部 総合物流部長 五島 洋次郎氏
1967年生まれ。1991年に日本貨物鉄道株式会社(JR貨物)入社。1999年に現・公益社団法人全国通運連盟へ出向。2004年にJR貨物本社の営業部グループリーダー、2006年に東北支社次長などを経て、2021年に総合物流部長に就任。

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▼ 鉄道ロジスティクス本部 総合物流部 総合営業開発グループ 渡部 純也氏
1979年生まれ。人材サービス会社での勤務を経て2015年に日本貨物鉄道株式会社(JR貨物)入社。2020年に日本フレートライナーへ出向。2023年より総合物流部営業開発グループサブリーダーとして勤務。


貨物輸送ってこんな世界

― まずはJR貨物がどのような会社か教えてください。 

五島さん:JR貨物は、全国に広がる鉄道ネットワークを生かした“貨物鉄道輸送”を行う企業です。貨物鉄道輸送には主に、コンテナで運ぶ「コンテナ輸送」と専用貨車で運ぶ「車扱(しゃあつかい)輸送」の2つの方法があり、あらゆる企業の様々な輸送ニーズに幅広くお応えしています。

― トラックや船舶などの手段がある中、貨物鉄道で輸送する利点は何でしょうか。

五島さん貨物鉄道の利点は、運転士ひとりで大量に荷物を運べるなど、労働生産性が高く、環境にも優しい輸送形態を実現できることです。例えば、貨物列車1本=貨車26両分の輸送量は10トントラック換算で65台分に相当し、遠くまで一度に多くのモノを運べます。さらに時刻通りに発車し、走行速度も決まっているため、輸送の計画を立てやすいという性質もあります。また、全国各地に約150カ所ある貨物駅のネットワークを駆使し、一日約500本という膨大な本数の貨物列車で効率的にモノを運べます。鉄道を使った輸送形態は中距離・長距離輸送に強く、昨今のトラック運送業への過剰な負荷や、深刻なドライバーの人員不足などの社会課題解決にも貢献していると、各方面から高く評価いただいています。

― おふたりが所属されている「総合物流部」とは、どのようなことを行う部署でしょうか。 

五島さん:JR貨物の基軸は“鉄道による貨物輸送” ですが、私たちJR貨物のグループ会社の中には倉庫を運営している会社や石油油槽所を運営する会社など、鉄道以外の事業領域に参画する〝鉄道+α〟の会社がいくつかあります。総合物流部では、こうした〝鉄道+α〟の会社と貨物輸送を掛け合わせ、新たな事業へと派生させることを主な仕事としています。仕事の領域や物流の力が及ぶ範囲をグループ全体で広げることで、グループ全体としての収益源を拡大させることがねらいです。最も多いのは、これまでつながりのある既存のお客様や新規のお客様に対して、「鉄道+αのお仕事があれば是非お寄せください!」と営業活動を行う仕事になります。

貨物輸送との出会い

― それぞれのご経歴と、JR貨物へ入社されたきっかけを教えてください。

五島さん:私の場合、大学時代は物流とは全く関係のない法学部に在籍していました。主に商業に関わる法律を学ぶかたわら、運送関係の法律の勉強も少しはしてはいましたが、それが特に入社のきっかけになったというわけではありません。ただ、かねてから「全国を舞台に仕事がしたい」という思いがあったことから、全国で事業展開をしているJR貨物が魅力的に映り、入社を決めました。

とはいえ、入社した1991年は国鉄分割民営化(1987年に行われた第3次中曽根内閣による行政改革。国鉄をJRとして、6つの地域別の旅客鉄道会社と貨物鉄道会社に分割・民営化した。)が行われてまだ間もない時代。JR貨物は「物流」より「鉄道」としての色が強めでした。そのため、物流に携わるためという意味合いよりも、「全国で仕事ができるのであれば」と飛び込んだのが正直なところです。 

渡部さん:私は中途入社でJR貨物に入社しています。大学も物流とは全く関係のない文学部で、大学卒業後は人材ビジネスの会社に新卒入社しました。前職に従事していた当時、私は福島県で働いていて、3.11の東日本大震災も経験しています。震災の時には物資が一切入ってこない状況で、特にガソリンが手に入らず困り果てていました。そんな中、貨物列車でガソリンが運び込まれたことで救われたという経験をきっかけに、2015年、JR貨物へと転職しました。物流現場での経験はなく、最初の配属から今に至るまで、基本的には新規の営業活動を行っています。連結子会社への出向を経て、2022年の7月には入社当時と同じ、総合物流部に配属されました。

インタビューの様子

― 五島さんは入社して33年と、長い年月をJR貨物で過ごされています。念願の全国を舞台に、これまでにどのような業務をされてきたのでしょうか。

五島さん:1991年に入社したばかりの頃は駅の貨物受付の係員もしましたし、旗を振ったり無線で誘導したりすることで駅の中で列車を入れ替えるオペレーション業務も行いました。入社してから6年ほどは北海道エリアを担当しており、貨物輸送の現場や、現場の上に立つ支店、オペレーションを指示する指令員、そして営業にも少し携わりました。1997年、本社に配属されてからは長らく営業活動に従事し、その中で浜松、仙台、大阪などの支店・支社で勤務したほか、鉄道の利用運送を主力事業とする連結子会社にも出向していました。

― 五島さんが入社された1990年代は、先ほどお話いただいた国鉄分割民営化もあり貨物鉄道会社にとって激動の時期だったと思います。当時の貨物鉄道は、どのようなものだったのでしょうか。

五島さん:当時は輸出入するモノの国内輸送を鉄道が担うという概念がほぼなく、本当に国内のドメスティックな、かつ範囲の限られた輸送でしか「鉄道」が担っていなかったように思います。国内輸送に関わる中で「物流は広がりのある業界」と感じるようになったのは、40代になってから。物流のあり方が変化するのを目の当たりにしながら、後々に認識できてきたというのが実状です。

― 五島さんは、北海道にある貨物駅でも勤務経験があると伺っています。一般人ではなかなか足を踏み入れることができない貨物駅は、どのような空間でしたか。

五島さん:入社して最初に勤務したのが、東室蘭にある貨物駅でした。旅客駅と貨物駅がひとつになっており、駅の一角で貨物を扱うような場所だったため、物流というよりはまさに〝鉄道会社が行う鉄道の仕事〟でした。その後、札幌にある貨物ターミナル駅に移ったのですが、そこは一転、貨物専用の拠点として24時間フル稼働。時間構わず夜中も含めて……という物流の世界を肌で感じました。駅によって状況や特性は違えど、あらゆる形で物流の一翼を担っていることを実感できる空間でした。

鉄道+αの可能性

― 貨物輸送だけでなく、付帯するサービスも提供するという「鉄道+α」の取り組みは、これまでの貨物輸送業界には存在していなかったのでしょうか。

五島さん:そうした考え自体は昔からあったものの、倉庫のことは倉庫の会社、石油輸送のことは石油輸送の会社といったように、各々で取り組んでいたのではないかと思います。私たちのように輸送手段を提供する企業から「鉄道と組み合わせてみよう」「A社とB社をつなげてみよう」といった、まったく別の業種同士を引き合わせる提案を行っている事例は、特定業種の案件以外、あまり聞いたことがありませんでした。

― そんな中、全く別の会社同士の情報をつなぐことは非常に大変だったかと思いますが、どのようにして乗り越えられたのでしょうか。

五島さん:私たちが実際に各社へ出向して、各社のメンバーと実際の業務を遂行するなかで相互交流を深めるということが大きな役割を果たしたのだと思います。結局のところ、親会社である鉄道会社の主軸部隊の「鉄道ロジスティクス本部」若手・中堅メンバーがずっと鉄道事業だけに目を向けていたことが、異なる領域とのかけ合わせが進まない最大の原因だったのではないでしょうか。私も渡部も、過去に「日本フレートライナー株式会社」という連結子会社に出向していたことがありました。そこでは、トラック+鉄道のフォワーダー(鉄道に接続する前後のトラック運行に限った輸送を行い、実際の運送業者(鉄道会社等)と提携することで貨物輸送を行う事業者)としての役割も担ったことがあります。

また、小規模ながらも国際貨物を扱うグループ会社でのマネジメント業務も経験しました。このように、自らが全く別の会社に飛び込む、もしくは相手に来てもらうことで、企業の枠を超えた交流を深め、多くの気づきを得た側面は大いにあると考えています。

インタビューの様子

― 組織交流や人材交流を、物流という広いビジネスに当てはめてきたということですね。鉄道+αを進めていく上での最初のきっかけは、どのような出来事でしたでしょうか。

五島さん:現在私たちが所属する総合物流部ができたのは2021年ですが、実はその2〜3年前の時点で「2030年にはこういう会社を目指しましょう」というビジョンが、経営陣の中に存在していました。「やはり鉄道屋さんではなく、物流事業者にならなくてはいけない。みんなで総合物流事業者になろうよ」というコンセプトを、経営陣たちが打ち出し始めていたんです。そこから、会社全体が次第に物流事業者として動き始めたような感覚があります。そして、そのような雰囲気が醸成された中、総合物流部は生まれました。私たちも、まだまだ始めたばかりという感覚ではあります。

― 鉄道+αという新たな物流のカタチに挑む、五島さんと渡部さん。次回は「2024年問題」にどのように立ち向かうのか、お話を伺います。


<取材・編集:ロジ人編集部>


次回の"「物流の仲間」として壁を乗り越える #02"は 5/17(金)公開予定です、お楽しみに!

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