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論証不要な意見は、論理構成の単位にはならない

「このトピックは論証が不十分だ」と指摘すると、「皆が知っていることはに論証は要らない」と言ってくる人がいる。確かに、皆が知っていることは論証不要だ。その論証不要なことをパラグラフのトピックにしてはならない。論証不要なことは、パラグラフの中で前提や根拠として使うのだ。

皆が認めていることには論証は要らない。皆が認めているのだから、説得のための理由も具体例もデータも示す必要がない。たとえば、「主張には根拠が必要だ」は、誰もが認めることであろう。この意見に論証は要らない。皆が認めているのだから、わざわざ論証する必要はない。

問題なのは、この皆が認めていることを、パラグラフのトピックにしてしまうことだ。なぜ、パラグラフのトピックにしてはならないかというと、当たり前のことは、論証が不要だからだ。パラグラフは、あるトピックを論証するための文章パーツだ。だからこそ、パラグラフはPREPの構成を取る。論証が不要なことをパラグラフのトピックとすれば、論じることがない。論じることがないので、別のトピックを論じ始めたりする。その結果、1つのパラグラフで複数のトピックを述べてしまう。当たり前のことは、パラグラフのトピックにしてはならないのだ。

そこで、皆が認めていることは、パラグラフの中で前提として使う。たとえば、「主張には根拠が必要なのに、この主張には根拠がない」のように。この主張なら、PREPで論証できる。なぜなら、「この主張には根拠がない」ことを説明すれば良いからだ。あるいは、根拠としてどのような具体例やデータを付ければいいかを論じればいいからだ。皆が認めていることは、パラグラフのトピックではなく、前提なのだ。

あるいは、みんなが認めていることは、パラグラフの中で根拠として使う。多くの場合、根拠としての理由は意見の形を取る、たとえば、「なぜなら、主張には根拠が必要だからだ」は形としては意見だ。しかし、皆が認めているのだから論証は要らない。論証が不要だから根拠として使えるのだ。みんなが認めていることは、根拠に使うのだ。

皆が認めていないことを前提に使うと、意見と事実の混同が起こる。たとえば、「小学生の論述力向上に役立つ算数の文章問題の表現を、より論理的で明確にすることが求められます」と述べたとしよう。「小学生の論述力向上に役立つ」が前提として述べられている。しかし、この前提は意見なので論証が必要だ。なぜ、算数の文章問題が論述力向上に役立つのか理解できない。意見を前提として述べれば、意見を誰もが認める内容、つまり事実であるように述べたことになる。意見と事実の混同が起こる。

また、みんなが認めていないことを根拠に使うと、その根拠をさらに論証しなければならなくなる。たとえば、「パラグラフを文章を書く上で意識してはならない。発想が萎縮し、貧弱になる」と述べたとしよう。「発想が萎縮し、貧弱になる」が根拠として述べられている。しかし、この根拠は意見なので論証が必要だ。なぜ、パラグラフを意識すると、発想が萎縮し、貧弱になるのか理解できない。みんなが認めていないことを根拠にすれば、さらなる論証が必要になる。

皆が納得していることを論証する必要はない。その論証不要なことは、パラグラフのトピックではなく、前提や根拠として使うのだ。

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