五苓散合四物湯

精神障害者が廃用性症候群の時期を経て、血圧が高くなり、脈拍が100を超え、昼夜眠れず、大便や小便が出なくなった時には抑肝散や炙甘草湯なども考えられるところだが、五苓散合四物湯が良い場合がある。もしも正しく適応した場合には一か月を経ずして改善の兆しが得られる。ルネスタのような眠剤の副作用でなった者にも効くが、治りが悪いだろう。私は多くの経験が得られない立場なので確信は持てないが、五苓散と四物湯はどちらも漢方方剤の中でもとりわけ重要な方剤であるから、この二つの漢方方剤の組み合わせは抑肝散や炙甘草湯よりも使いやすいかもしれない。ただ、当帰芍薬散との弁別も必要であり、その差を見極めるのはそれほど容易ではないだろう。

ところで、有名な漢方方剤は生薬の配合が少しずつ違ったり、大きく違ったりすることがいかに重要であることかということを強く意識しなくては、漢方治療の妙味を知ることはできない。常に多くの漢方方剤の適応の可能性を広く考えなくては、漢方薬の効果の奥深さを感得することはおろか、一人の病人を救い切ることもできないかもしれない。生薬の効用の個人差に注意を払いつつ、生薬単位で適応の可能性を見極め、絶対的な生薬の配合を考え抜く為の長い時間をかけてきた結果として現在の漢方方剤がある。そのような大前提なくしては漢方医学は全くの非科学、あるいは似非科学と変わりないものとしてしか評価されないだろう。

真に科学的な漢方の臨床とは、時間をかけて特定の病人に個々の生薬がいかなる影響を及ぼし、それが有益なものだったのか、あるいは有害なものだったのかを見極めてゆくというものであり、最終的には個々の生薬やその組み合わされたところの漢方方剤が間違いなく有益であるという判断を下すことが不可欠なものだ。漢方方剤の驚異的な効果を歴史を超えて再現しようと試みるならば、このような漢方医学の本質を弁えるべきだろう。そしてこのような手法に従えば、病人ごとに多くの試行錯誤が必要となり、失敗を積み重ねることが避けられない。そのような漢方医学の不便な特性は、その実質的な創設者である仲景が現れた時から今日に至るまで変わりない。漢方医学の成り立ちや発展を歴史的に俯瞰すれば、個人的な治療行為の膨大な失敗の結果として新しい漢方方剤が創製され、今日に伝えられ、普及してきたのである。したがって漢方方剤を使う者の態度によっては、人を救うこともできれば、殺すことも容易なほどの鋭利な刃物となる。それ故に一般的には未だに不便な治療学としての評価を甘受しなくてはならないのだ。

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