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ドラマ「春になったら」観て思ったこと

①ヒーローはいない

余命三ヶ月の父、椎名雅彦。
三ヶ月後に結婚する椎名瞳。
結末は紆余曲折を経て、当初の宣言通り、父は三ヶ月後に亡くなり、娘は三ヶ月後に結婚式を挙げた。
余命宣告通り、父は亡くなってしまう。
もちろん、父の癌が治療して完治するとなると白けるだろうが、現実同様、漫画のような救世主というのは存在しないのだ。
医療系のドラマだったらこんなことは思わないかもしれない。
とても現実に忠実で、このドラマは父と娘らの葛藤に焦点を当てているので当然の結末ではある。
しかし我々は辛くて死にたい時、いやしない誰かの助けを必要とする。
そう、現実世界には基本ヒーローは存在しなくて、生々しい現実が我々に突きつけてくる。
そんな現実から逃避するためにヒーローは生まれたのだと思う。
ひたすら現実的でそれを改めて認識して、少し悲しくなった。

②人の幸せな瞬間に立ち会えるお仕事

娘の瞳は助産師。
他にもウェディングプランナーという職業が出てきて、この職業に従事している当人は人の「幸せ」に立ちあえることに魅力を感じていた。
確かにその瞬間に立ち会えるというのは、自分の人生にも少なからず良い影響を与えたり、自分自身幸せな気分になる。
しかしこのような職業は、他人と自分重ねることが不可避的に発生する。
他人と比べるから人は不幸になる。
他人と比較することで「自分」についての理解を深めることもできるから、一概には言えないが、自分を卑下してまで比較したくない。
私はなるべく他人と比較してしまう場所に身を置きたいとは思わないなと感じた次第である。
とはいえ、この感情は自分が今幸せなら感じないことなのかもしれない。

③赤ちゃんが生まれるということ

まずは純粋に尊さをまざまざと感じた。
赤ちゃんが生まれるまでに何ヶ月も費やすことは知っているが、それだけじゃなく、陣痛から出産までに何十時間もかかるということは知らなかった。
両親の持つ苦悩も千差万別で、赤ちゃんを産むということは相当な覚悟を求められる。
赤ちゃんはいつの時代でも変わらず尊く、宝だった。

④色んなため息

私はため息をつく人間が好きじゃない。
私もしないわけじゃない。
するけど、人前ではしないよう意識している。
序盤では雅彦と瞳は口喧嘩が目立っていた。
各々が葛藤する中でため息をつくシーンがいくつかあった。
人の苦悩を知ることができれば、そのため息の裏側を知れば、特に不快に思うことはないのかもしれない。
もしくはため息の種類が違うのだろうか。

⑤日常は続く

瞳はとても思い詰めていた。
父が死んでしまうというのに結婚式を挙げていいのかという苦悩である。
父のことで頭がいっぱいなのに、いつも通り仕事はあって、いつも通り頑張らなきゃいけない日常がある。
瞳だけじゃない。父もカズマルもみんな悩みを抱えていた。
誰もが悩みを抱えたまま、何事もなかったかのような顔をしている。
倒れてから話を聞いてくれても遅いのに。
究極的には自分が自分の気持ちに気づいてあげる、自分だけが自分を信じてあげる、自分だけが自分の幸せを願うというのが大事なのではないだろうか。
自分のことは自分しか分からない。

色んなことを考えさせられる、気づかせてくれるドラマだった。
「春になったら」とても良かった👏👏👏

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