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万历十五年

【中国語原文】

黄仁宇:《万历十五年》,生活·读书·新知三联书店1997年版,第81-83页。

【英語原文】

Ray Huang, 1587, A Year of No Significance: The Ming Dynasty in Decline, Yale University Press, 1982, pp.77-79.

【日本語訳文】

統治者である皇帝は、文官を公平に取り仕切ることで、この役割を果たすことが期待されている。この点を達成するのはあまり容易ではない。公正と苦労を厭わない以外、非常の精明と腕が利くのも必要がある。文官の二重的性格に対して、物質上の報酬をあげて、喜んで奉仕させる必要がある。そして、彼らの精神上の力を動員し、倫理道徳によって国事に忠誠を尽くさせる。この二つの目標の出発点は分岐があり、皇帝の目標に達成するためにできられる手段も限る。概して言えば、人事の昇降と儀礼を行うことに過ぎない。しかし、万歴皇帝のすることなすことは、それに逆行する。彼は、有意的に文官と協力しなく、補官をしない遣り口と最高の位置を廃棄するのに等しい。彼らは献身的に力を尽くし、物質上の報酬をもらうのは当然でしょう。官位が昇って金持ちになり、祖先の名をあげるのは水の泡になる。彼らの一生の心力は水のように流しまう。また、皇帝は倫理道徳を偽りの飾りに塗り、この領域に工夫をする必要もない。たくさんの孔孟の道は真理として奉仕する文官たちは、自分の丹心が全部無意義のばかな忠誠心になると思う。

表面上の静けさは普通に幻である。文官集団はしかるべき和衷共済を欠け、逆に無数の利害衝突を集中し、衝撃的な団体になる。万歴皇帝の統治の48年に、特に後期において、大臣は中枢が全局をリーダーする能力がないことを見透かす。彼らは消極的な態度で局面を対処しなければならない。疫病のような態度は文官において速く流して、忠実な者の信心を無くさせ、職者をより乗ずるすきがある。こんな不景気はますます激しくなり、王朝を崩壊の寸前に歩かせる。ようやく維持している原因は、代わる方法がまだ見つからない。私達のような広く、歴史が長い帝国は、不利な条件の下でも、慣性の作用で王朝を維持させる。

こんな雰囲気はもちろん悲観である。一部の文官、すなわち呼ばれる東林党、頑張って変える。彼らの理想というものは、精神的力を通じて皇帝の以外で功績を作る。彼らは子供の頃から「四書」と朱熹が書いた注釈を熟読し、教養のある君子は消極的に減速及び職責を放棄する可能が決してないと思い、一所懸命に奮闘が必要である。この君子を自称する人物たち、朝廷においても民間においても、いつも自分に道徳をはたはたと風に翻る。彼らと不和する人は小人と叱られる。その後、彼らの中の若干名は吏部と督察院の官員を任命され、官員の考察と弾劾を負う。定期的な考察において、彼ら不満な官員をすげなく否決する。

このような道徳を盛り返すための運動、宗旨、もちろん見た目は立派である。しかし、皇帝の指示を不足し、失敗のことは予想できる。皇帝は神ではなく人間である。皇帝の意志は「勅命」と呼ばれるけど、彼の判断力は常人より高いのではない。彼の高くて、神秘なパワーは伝統にあげられ、理知の範囲を越え、宗教性を持つ。これは皇帝の決断を人間におけるもっとも権威になれる。官員は、皇帝の決断が自分で作ることを承認すれば、公平がなくても、絶対的に従わなければならない。東林党はもちろん、こんな絶対的な権威を持たない。よくや、二万人以上の文官は整体として、善悪を評定する標準も無くす。数名の道徳が優秀を自分を誇る官員、本当にみんなに承認される標準を作るだろうか。

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