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ロカスト日記 3月29日(日)

 異常事態に人が置かれる時、まず言葉から失われるのは個人の具体性です。大きな現象は人々を共通の渦の中に飲み込みます。誰もがその渦中にいるがゆえに、誰にでも理解できるような単純で抽象的なイメージと言葉ばかりが流通し、代わりに、具体性を伴った言葉はふさわしくないものとして切り捨てられます。コロナウィルスとも日本政府の対応とも関係のない、誰とでも共有できないものは、個人的な日記や心の奥に消えていく。けれども、僕らがインターネットでのやり取りに求めているものは、共有できないものを共有する試みではないでしょうか。卑近な例かもしれませんが、誰にも言えなかった悩みや趣味を誰かと共有できることこそが、インターネットで人々が物理的距離を超えて繋がる中で起きた最良の喜びではないでしょうか。その体験が、僕にとってはネットにおける最大の”革命”であったと思います。
 今回LOCUSTでは、編集部数名の日々の記録を公開します。もともとLOCUSTは、異なる立場や異なる趣味嗜好を持つ人間が”群れ”となる中でそれぞれが変化していく現象を、活動のエネルギーとしてきました。今回のコロナウィルスの流行に端を発する混乱の中で、大きな”群れ”の場に組み込まれた我々(ロカストのメンバーだけでなく、社会を構成する人々全てを含む「我々」です)は、具体的な生活や思考の違いを共有することで、自分自身を大きく変化させるような”好機”に恵まれたと感じます。具体的な個人の体験の言葉が、非常事態の渦に飲み込まれている時にこそ、より豊かな共有をもたらす。僕らの間に生まれた関係が、僕ら全員を変えていく。LOCUSTはその可能性に賭けるために、それぞれのささやかな日々の記録の”群れ”を、みなさんと共有します。

LOCUST編集部 伏見瞬

3月29日(日)

 たしか8時頃に目を覚ました。寝たのは2時頃で、体内に重みを覚える。6時間睡眠だと疲れを取るのに足りないらしい。
 スマートフォンを取ってツイッターのアプリを開くと、雪が降っている報告がちらほら。カーテンを開けるとたしかに降っていた。かなり強く。
 外出が多いせいで以前まではほとんど外食だったのだけど、最近はご飯を炊飯器で炊いて、おかずをコンビニかスーパーで買って食べている。朝はセブンイレブンで買った鶏大根と、「ごはんですよ」と梅干しをおかずに白米をいただく。
 今日は外出しようと決めていた。この日はコロナを恐れる気持ちがほとんどなくなっていた。昨日は暖かったけど、コートとスーツをクリーニングに出す以外は一日中室内にいて、主に部屋の片付けをした。もともと家に籠もるのが苦手で、朝起きてからしばらく家にいると気分が悪くなるタチである。「自粛要請」は無視しようという心積もりであったが、まさかの強い雪なのでやはり家にいようかと迷う。だが、出ることにきめた。先週買ったロングシャツでコーディネートしようとするが上手くいかず。悩んだ末、水色中心のチェックシャツ、黒のブルゾン、黒に薄い白線が入ったフード付きのチェックのコート、黒のパンツ、それに水色のレインブーツで外を出る。このブーツはアンダーカバーというブランドのもので、『時計仕掛けのオレンジ』のアレックスの顔がプリントされたカバーがブーツ上部に装着してある。インパクトが強く、気に入っている靴だが、雪の日になると実用性が高くてさらに好きになった。足下の防寒がしっかりしていると、寒さがほとんど苦にならない。

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 電車に乗る。窓の外を雪が駆けてゆく。その景色をiPhoneで撮影した。写真にすると少し矮小化されてしまうなと思う。
 新宿駅に着いて、人はいつもより少ないが、それでもまったくいないわけではない。総武線で阿佐ヶ谷駅に行く。駅前のプロントでさくらんぼとイチゴのケーキとホットカフェラテを注文する。時刻は12時20分くらいだったが、あまりおなかが空いていなかった。12時50分からラピュタ阿佐ヶ谷で加藤泰監督『浪人八景』(1958年)を観る。過去の日本映画を掘るのが最近の流れである。劇場にはおじさんが幾人かいて、映画が始まる前に今の情勢について話していた。『浪人八景』は人情を絡ませた時代劇だが、どこかドライなところがあって、好感を持つ。

 終わったのが14時15分。雪が止んでいた。ここから原宿へ向かう。竹下通りが空いているのが快適である。原宿通りのケバブ屋で遅めのランチを取り、BIG LOVE RECORDSに行く。BIG LOVEは10年近くお世話になっているレコードショップで、確かな美意識と価値観をもって新譜を扱う姿勢に尊敬の念を抱いている。今は苦境なのは間違いないので応援しようと思い伺った。店長の仲さんは僕が来たことに少し驚いていた。むしろ迷惑だったら申し訳ないと感じる。仲さんから今の事情について話を伺う。4月,5月はレコードが売れる時期だから、ここで弾みがつかないのはやはり大きな痛手だという。僕は自分が支持しているお店や作家にはお金をなるべく支払うようにしているので、今日はいつもより多く、7枚のレコードとBIGLOVEとYEAR0001というスウェーデンのレコードショップがコラボした黒のパーカーを購入する。荷物が重たくなる。店に併設してあるバースペースで、スタッフのアンナさんが出してくれたアイスのカフェラテを飲む。アンナさんは自身でレコードやジンを作っている、20歳になるかならないかくらいの女性で、後ろに少し膨らんだ水色のキャップと緑のパーカーの組み合わせが似合っている(色は逆だったかも)。先ほど、店に行く途中で走る彼女が僕を追い越したのだけど、そのときに笑顔で挨拶してくれたのに嬉しく驚いた。あまり笑わないクールな人だと思っていたので。

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