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絵本から経済を考える 第1回  「これは私のものだ」という絶望感について——中庭の共同体とビーズのネックレス、あるいはTHOSE SHOES 谷美里

 私が幼少の頃住んでいたマンションには大きな中庭があった。長方形の中庭の二辺は住居棟、一辺は駐輪場と高木で囲われ、残りの一辺は大きな門で閉ざされていた。車も部外者も入って来られないその安全地帯で、マンションに住む子どもたちは来る日も来る日も遊んでいた。誰かが幼稚園や小学校の友達を連れて来れば、その子らも一緒に遊んだ。中庭には、常時十人以上の子どもたちが走りまわっていたように記憶している。

 その中庭では、遊び道具は基本的に共有されていた。三輪車もローラースケートも縄跳びもカードゲームも、それは誰かの持ちものだったわけだけれども、自分のものも誰かのものも、みんなで代わり番こに(もしくは一緒に)使っていたので、これは自分のもの、これは友達のもの、という意識をもつことがほとんどなかった。今にして思えば、そこにはいわゆる「共同体」が発生していた。ものすごく限定された空間の、子どもたちの間にだけではあったけれど。

 とはいえ、その中庭の共同体は、完全に閉ざされた空間だったわけではない。マンションの外の友達が随時出入りするので、共同体の外の論理や感情が、時折彼らによってもたらされることがあった。

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