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わたしはあなたのことが幸福にわからない │ 河野咲子(ピピロッティ・リスト展「Your Eye Is My Island:あなたの眼はわたしの島」レビュー)

 初夏めく京都の空はまっさらに晴れ、まだ燈のともらない《Hiplights》が——使い古された下着の数々が、呑気な万国旗のごとく踊っていた。夜になるとこれらの下着がひかるのだという。それもまたほがらかとしか言いようのない光景だろうと思う。

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 下着のしたをくぐって——お邪魔します、と思いながら——美術館の中へ入ると眼前にはもうカラフルな絨毯と、映像のなかのピピロッティ・リスト自身の姿が見えた。

 ピピロッティ・リストはスイスを拠点に活動するアーティストで、その回顧展を見るために——「見る」ために?——わたしたちは京都国立近代美術館を訪れたのだった。
 手元のチケットを見やれば、ショッキングピンクの文字で展示のタイトルが書かれている。Your Eye Is My Island:あなたの眼はわたしの島。

 あなたはまだ展示を見ていないかもしれないけれど、それはほんとうに途方もなく幸福な空間だった。精緻な仕掛けがそこかしこに凝らしてある一方で、展示の全体はくらくらするような鮮烈なオプティミズムに貫かれているのだった。あなたの眼はわたしの島。「あなたの眼」=展示を見ようとする我々の眼が、「わたしの島」=ピピロッティ・リストの空間に、あるいは彼女自身の身体のようなものにどこまでも漸近しほとんど同一化する事態が、底抜けの明るさのもと継起していた。
 でもよく考えてみれば、「あなたの眼がわたしの島である」状態とは必ずしも肯定的に経験されるべきものではないだろう。眼がその対象へと合一しゆくとき、対象ははっきりとは見えなくなってしまうに違いないのだから。
 だが、リストはそれをあくまで幸福なものとして演出し尽くそうとする。

 あの展示空間を経験してからずっと、わたしはある小説の一節のことを思い出してばかりいた。ピピロッティ・リストと直接的に関係あるというわけではないけれど——2018年のノーベル文学賞受賞がまだ記憶に新しい、ポーランドの作家オルガ・トカルチュクによる小説『逃亡派』。
 リストとトカルチュクがよく似ていると言いたいわけではない。だが、「あなたの眼がわたしの島である」ことの問題を考えるとき、トカルチュクを参照することでさまざまなことの見通しが良くなるような気がしている。リストの空間とトカルチュクのテクストは、同一の問題をまったく異なる態度によって照らし出しているように思えるから。
 だから、まずはトカルチュクの『逃亡派』のことを急ぎ足であなたに紹介したい。

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