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第3回共喰い会レポート (課題図書:多和田葉子『百年の散歩』) 谷 美里

 5月30日土曜の夜、緊急事態宣言が解除された直後の新宿は、ものすごい人出だった。みんなやけに上機嫌で、酔っ払って路上で歌っている人が多かった。そんな浮かれ気分の新宿で、ちょうど夕飯時に、私たちは居酒屋ではなく会議室に集い、「共喰い会」という名の読書会を開催した。マスクの着用、消毒と換気を徹底した上で、会議室に集まったのは5人。今回はオンライン参加もできるようにし、Zoom上には7人が集まった。計12人で、多和田葉子の『百年の散歩』について3時間以上に渡り議論を交わした。
 これまで共喰い会で取り上げた課題図書は、第1回がサイードの『オリエンタリズム』、第2回がブランショの『明かしえぬ共同体』である。小説を取り上げるのは今回が初めてだった。ロカスト主催の読書会で取り上げる小説家として誰が相応しいだろうと考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが、多和田葉子だった。周知のとおり彼女はドイツに在住し、世界中を旅し続けている作家である。そして『エクソフォニー』『溶ける街 透ける路』『容疑者の夜行列車』『アメリカ——非道の大陸』『文字移植』『ボルドーの義兄』『穴あきエフの初恋祭り』『百年の散歩』『地球にちりばめられて』『星に仄めかされて』など、旅から生まれた/旅を題材にした作品を多数発表している。

 今回課題図書に選んだ『百年の散歩』は、多和田葉子がベルリンにある有名人の名を冠した通りもしくは広場に行き、そこで起こっていることをリアルタイムで記録し、さらに個人の記憶やその場所の歴史の記憶を織り込む、というコンセプトで書かれた本だ。しかし、これは紀行文ではなく小説である。小説なので、通りを歩く語り手の「わたし」=多和田葉子ではない。だが、やはり「わたし」≠多和田葉子とも言い切れない。この作品を読んでいると、紀行文と小説の境界が分からなくなってくる。そして、この作品は多和田葉子という作家の特性を探る糸口になるのではないか。そんな問題提起をしたところから、議論はスタートした。

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