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コンテンツガイド 風景1 〜風景の日本 第1回「富士そば 三光町店」

歌舞伎町とゴールデン街の雑踏の奥にひっそりとたたずむのは、江戸以来の新宿の総鎮守、花園神社だ。猥雑な熱気と境内の静謐な雰囲気が混じり合うこの不思議な区画は「新宿5丁目」という。街の猥雑さとは裏腹に、とても静かで、システマティックな名前だ。でも、その町名はまだ若い。東京の町名は幾度の市区改正を経てさまざまに変化し、「新宿5丁目」という町名が名付けられたのも、その変動を受けてのことだった。かつてこの辺りは「三光町」といった。花園神社の別名「三光院稲荷」が由来だという。1920年に誕生した名前で、「新宿5丁目」に改名されたのは1978年。60年ほどの寿命だった。

昔、東京の旧町名の痕跡を探すのが趣味の人がいて、この辺りに三光町の痕跡がないかを調べていた。炎天下の中をずいぶん歩き回って、やっとのことで花園神社の角に建っていたビルの壁面に「三光町」と書いてあるのを見つけたらしい。執着とさえいえる旧町名への情熱に感嘆した覚えがある。

まだ花園神社の脇にそのビルがあるかどうかはわからないが、今ならこの人はもっと楽に三光町の名残を見つけられただろう。花園神社の隣に立つそば屋のチェーン「名代 富士そば」の店名が「三光町店」なのである。命名されたのは1978年より後、つまり三光町という名前が無くなった後なのだ。一介のそば屋チェーンが、旧町名を店名に冠して営業を始めたのである。

もちろんそこには、三光町の名前を炎天下の中で探し回った人のような旧町名に対する情熱は(もしかすると多少はあったのかもしれないが)無かっただろう。店名の選択は単に、他の富士そば店舗に対する差別化の意味合いが大きかったのだと思う。新宿の周りには、富士そばがたくさんある。ざっと挙げるだけでも「新宿店」「西武新宿店」「新宿都庁店」「小滝橋店」「三光町店」と5店舗もの富士そばが駅を取り囲んでいる。その店舗を現在の町名のまま名付けていたら、分かりづらくて仕方がない。そこで借り出されたのが旧町名だったというわけだ。
三光町という名前はいくつかの作品にも登場するぐらい、当時は名の通った町名だったというから、富士そばとしては自然な選択だったのかもしれない。

旧町名の歴史を映し出しているのが、もっとも歴史とは遠い位置にあると思われているチェーン店だとはなんとも面白い。富士そば三光町店はいまや、その土地の歴史の一断面を刻み込んだ、一つの記念碑である。

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