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ロカストリレー連載④北出栞「北出とロカスト」

新年度を期にスタートした、ロカストプラスのリレー連載。編集部員が交代で、月に一度エッセイを執筆します。第4回の担当は北出栞です。

前回の記事(担当:南島興)はこちら

波長の合う友人知人には恵まれているが、具体的な作品についての会話ができる(いわゆる「趣味の合う」)友人知人はほとんどいない。このことは自分が作品のユニークな「読み方」をしていることの証左…「批評」の才能を有していることの証左でもあるだろうが、まぁ素朴に物足りなく感じる時はある。(2022年7月12日のツイート

この発言をした時に、LOCUSTのことが念頭にあったのは言うまでもない。アニメだボカロだノベルゲームだセカイ系だといったトピックはメンバーとはまったく共有できず、それでも受け入れてくれるこの場は居心地が良い。北出のような人間もそこにいられることにLOCUSTという場の価値はあると、そしてそのような場所があることは北出にとっての価値にもなると、そう説得され納得してここにいるが、しかしそれでいいのかとも思うのだ。

いつからかLOCUSTとは夢想的で反-生活的で虚構の世界に耽溺している北出栞というキャラクターを「社会」に繋ぎ留めるための「楔」なのだと感じるようになった。「北出がゆく」という企画に関しても、自分が単に檻の中の珍しい動物として扱われているだけなんじゃないかという不安はあった。特に今回はコロナ禍以来ひさびさの集団旅行を実施するタイミングだ。先述した「居心地の良さ」は畢竟、批評再生塾時代から築いてきた時間の賜物である。旅行となるとまったく初対面の人と一緒になるわけで、同じようにはいかない。(元々は編集部の面々もそうだったわけだが)この雑誌に関わっていなかったら絶対に接点を持たなかったような人ばかりなのだ。見知った編集部の人間からは別に檻の中の動物扱いでもいい。でも初対面の人からすればどうだ? 自分みたいな奴が混じっていていいのか? 「北出栞」としての自意識が確立されるにつれて、自分の場違い性についてより一層考えるようになってしまった。

一方で、「偶然的」で「猥雑」で「身体的」なものを良しとするLOCUSTの思想に同調することが、「北出栞」というキャラクターの強度を下げることにつながるのではないかと思うようになったのも事実だ。「セカイ系」をその執筆のテーマとする北出は、《あらゆる透明な幽霊の複合体》……身体の束縛から離れた、純粋な一個の視点になりたいのだ。ここにおいてセカイ系とは、生まれて初めて空を見上げたときの驚き、青が「青い」と言語化される以前の絶対地点たる〈青空〉から、現世的な様々な問題を相対化せんとする思想とでも理解されたい。地を踏みしめ、土着的な「ざわめき」に耳を澄まさんとするLOCUSTの思想とは、根本から対立するものなのだ。

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