冥想と夢見(19)20221002

冥想と夢見(19)

2022年9月23日から書き始める

てんびん座を金星で満たす

今日見た夢は、てんびん座の中に、金星を目いっぱい満たすというような内容と、太陽と海王星がスクエアの人ばかりを集めて、講座というか、企画会議しているような場面。わたしが話をしようとすると、この数人の中に、自分の考えを積極的に展開している男性がいて、わたしが特に話をしなくても、会議はそのまま進行する様子だった。
 占星術では、サインと惑星は、比較的密接な関係があると考えられ、各々サインには支配星というものもあてはめられている。しかしサインと惑星は決定的な違いがあり、同列に考えることができない。わかりやすい対比としては、サインは位置が固定されていて、指定された空間範囲を示している。いっぽうで惑星は、惑星の公転軌道を回っており、サインを空間とすると、惑星とは時間なのだ。円形に回転しているので、一次元の直線時間というより、円形平面の二次元時間という意味かもしれない。しかし、人間は部分化された存在なので、円形全体を意識的に体験できないことが多く、この円形の一部を切り取って、一次元直線時間として捉える。
 となると夢での、てんびん座を金星で満たすというのは、金星的というカテゴリーにおいて、空間性の中を時間が満たすということだ。空間は硬直したもの、生気を失ったものだ。でないと空間は静止しない。時間は生きた生命性であり、ある空間枠を時間で満たして一杯にすると、この空間は打ち破られる。
 物質が安定して存在しているというのは、この中に生命、意識の比率が薄まっているからだ。わたしは自然界を他人事のように見て、そこに自分を組み込まない姿勢のことを、近代以後の機械論的自然観と説明していたのだが、グルジエフは、宇宙のすべての物質にはそれにふさわしい知性と生命があると説明していた。これはインディアンなどに共通した見解だ。
 そもそもグルジエフの振動密度が高いものは物質密度が低く、この反比例的な関係を、水素番号として、多数羅列したのは、振動密度を意識、生命、あるいは時間的要素とみなし、物質密度を空間性、物質と考えて、数の多い水素ほど、空間の中に、生命、意識の含有率が少ないということを説明している。たとえば、H768の土の元素は、768分の1ほど、1なる意識、ブラフマンが含まれており、残りの767個の要素は、虚脱した物質、死んだものとみなす。土の元素は話しかけても動かない。実は、動いていると思うが、その反応が鈍すぎて遅すぎるのだ。

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