サビアンシンボルでアカシックリーディングする(14)20210312

サビアンシンボルでアカシックリーディングする(14)

2021年3月3日に書き始める

大きな体

 人間は、肉体が実体でなく、その周囲にあるオーラのほうが実体であると説明したが、肉体とオーラという二種類があるのでなく、サイズの違う輪郭が複数あり、ミルフィーユのような感じで、たまたま地球に住み、視覚の範囲を共有する人が、この複数の層の中の今の肉体というサイズの皮膜に同調して、その部分を視覚化しているのだ。乙女座の説明の時に、乙女座を示す視覚は見えるものと見えないものを選択すると書いた。最初から境界線は決まっているのでなく、柔軟サインらしく、試行錯誤して、結果としてある層の部分だけを見えるように選択する。乙女座の視覚は決して全体を見ない。というよりも、そもそもどこを全体とみなすのかということもわからない。光と影の領域を設定して、自己を小さな範囲に縮小すると、この段階で、実はもとの全体とはどこにあるのかは理解できなくなるのだ。無意識の範囲もどのくらいのものなのかわからない。
 人間はどこまでも部分化されており、もとの全体に戻すのは、1なる原理、第一宇宙プロトコスモスに回帰するしかない。そしてこれは一なる原理であるが故に、個別性、特徴がなく、つまり人間もここでは存在しえない。ここでは神も存在しえないと言うほうが正しい。
 多くの人が、果てしなく転落したという体験を記憶しているはずだが、この転落は一度だけでなく、何段階も経ている。いつまでもいつまでも落ちる感覚だ。一なるプロトコスモスから、人のトリトコスモスまでは6つの転落があったと考えてもいい。これだけ多数の階層を落ちると、もとのものなど何もわからない。おとめ座は、上のコスモスを、下の複数のパーツに分割する作業だが、6つの転落があるというと、それぞれのコスモスの間で乙女座の分割が行われたというふうに考えてもいいのではないか。

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