サビアンシンボルでアカシックリーディングする(18)20210417

サビアンシンボルでアカシックリーディングする(18)

2021年4月10日に書き始める

前回の(17)で、牡羊座からてんびん座までの17度について書いた。残りの蠍座の17度から書くことにする。

天の父というくらいに解釈を広げたほうがいい

 さそり座17度A woman the father of her own child.[自分自身の子供の父である女]の解釈はかなり難しいと思う。比較のために反対側にあるおうし座17度A battle between the swords and the torches.[剣とたいまつの間の戦い]も参考にしてみよう。
 前回説明したおうし座では、上空にたいまつがあり、下のコスモスの剣がそれを受けとめていくというようなイメージで説明した。サビアンシンボルは変成意識の誘いであるということから、上の送り手、下の受け手のイメージで考えたのだ。17星のカードは、上の星、仲介としての女性、受け手としての下の川あるいは水というものが配置されている。
 17という数字を「天空の影響を、下界に持ち込む」という定番の定義に基づいて考えると、上のたいまつ、下の剣というのは理解しやすい。
 となると、蠍座17度でも、子供を産む親が上空にいて、そして下界に子供がいる、という配置で考えればいいのではないかとも思う。ここでは謎表現として、父である女というものがある。でもこれは、単性生殖で、親が父でもあり母でもあるとみなしてもいい。そもそも地上的には、そして地球的には、子供を産むのは母であり、それは父との共同によってなされるというのが決まりだが、そもそも象徴領域では、この地上の常識的イメージというのがはなから無視されることは当たり前ではないか。それはみんなが毎日夢の中で体験していることではないか。
 ただ、この表現は父性というものを、母親が持っているということを強調しているようにも見える。
母が生んだ。しかし父性の役割を担っている。これも女性たるもの、男性たるものという枠を度外視している。
 エリスのサビアンシンボルには、このような表現が頻繁に出てくるために、地上的トリトコスモスで使うにははみ出し要素が強い。がちがちに固い占星術では、そもそも不思議なことに象徴さえ受け付けない。惑星の意味などはみな象徴としかいいようがないのに、いったいこれはどういうことなんだ?と思うが、こうした占星術では、エリスのサビアンシンボルをどう使って良いのかわからないのかもしれない。占星術は結局象徴学のようなものなので、サビアンシンボルとは折り合いがいいはずだ。

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