サビアンシンボルでアカシックリーディングする(26)20210621

サビアンシンボルでアカシックリーディングする(26)

2021年6月14日から書き始める

これから20度について書くことにする。
タロットカードもそうだし、サビアンシンボルについても、上位コスモスすなわちメゾコスモス以上の領域においての12サインとか数字について考えると、一般の地上的なトリトコスモスの象意からは離れていくので、地上的実用性は減っていく。しかし社会的な場での自己実現が完了した人からすると、むしろこの実用性には期待しない比率が高まる。真の意味で高次な象徴性のことを考えたくなるだろうが、これは社会的自己実現がどのくらいうまくいっているかということとシーソーのような関係にもなりやすい。
とはいえ、最初から社会的な自己実現には関心がない人もいる。
昔、直居あきら氏が、社長がカウンセリングに来た時には、できるかぎり具体的説明をしないほうがいいと言っていた。というのも社長はちょっとしたキーワードですぐに理解するし、応用的展開を虎視眈々と狙うので、具体的なことを言われたくない。それは自分でする、というわけだ。

タロットカードは、後の数字になるほどどんどん高度になる。
「知覚の領域を無理矢理にでも押し広げる」というのは刺激が強くて楽しいのでは。
西海岸の精神世界ブームのときには、こういうことをしていた人がたくさんいたのでは。
20の数字では、見えないものがたくさんある。というより、見えないものがたくさんあったことに気がつく。屋敷に引っ越してきて、隠し部屋がたくさんあったことを知るようなものかもしれない。

20審判のカードには、眠りを覚ます。棺桶から出す、というテーマがあるそうだ。
でも、これは非常に驚くものをたくさん発見することで、そもそも2の数字の系列は、11力のカードとも数字の意味においては連動していて、11力のカードが、自己同一化の眠りから覚めることを示し、自分の下半身から動物を引き離す。
しかし同じ2の系列の20は、動物との同一化の眠りとはひとつだけでなかったことにも気がつき、マルチアクセスになる。
でもこのマルチアクセスをするには、具体的な事柄への没入を減らさなくてはならない。ほかのものが見えないのは、ひとつのものに眠り込んでいるからだという理屈で。グルジエフは、エニアグラムのインターバル6の関門を通り抜けるには、印象をできるかぎり多角的にしなくてはならないと言っていたと思うが、印象の多角性は、レイヤーのように重なったものを複数見ることだ。

20審判のカードは、クンダリニを示すのか

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