冥想と夢見(3)20220516

冥想と夢見(3)

2022年5月11日から書き始める。

方向性のドリームワーク

アーノルド・ミンデルの「大地の心理学」(心ある道を生きるアウェアネス)という本に、方向性のドリームワークというのがある。古代の人々は、現実的かつ想像的な方向性を組み合わせた「道の自覚」を持っていたと言い、この考え方を活用して、意識の変化を空間的な移動のベクトルと結びつけたのだ。こうなると、中国の「道(タオ」)も、また「道の聖母」も、具体的などこかの道と結びつけてもおかしくない。もちろんわたしは、研究会で、鎌倉往還道を歩くことで、江戸の町から、富士山の頂上に至るコースの中で、意識の変容が生じることをメソッドにしていた。実際には出発点は、夜中の鎌倉八幡宮の駐車場だったが。
 この方向性のドリームワークは、方向性をもった歩行瞑想として、具体的には、日常生活の方向性と、もうひとつの並行世界である夢を、ベクトルの和としてかけあわせ、それを「大きな自己」に至ることに結びつける。ミンデルはここで「夢を日常生活の観点から解釈して」、日常の自分と夢の部分を足し合わせて、「大きな自己」を見出すと言い、この日常生活の観点から夢を解釈というのが重要だと思える。夢を夢のまま放置しておくと、それはどこにもつながらず、夢の空間にとどまる。それに対してベクトルの和は、日常の意識が進行する時に夢のエンジンを加えて、日常の生活が大きく飛躍するということだ。
 グルジエフは、夢とは、7つのセンターがばらばらになっている睡眠時に、どこかのセンターが独自の印象活動をしていることなので、7つのセンターを連動させることこそが重要だという観点から、夢をあまり重視しなかった。それに対して、わたしは夢を解釈することじたい、高次センターと、低次思考センターの連結ではないかと書いた。そこに直観的な推理が結びつくのは、動作センターという「ゾーン」が加わることでもあり、次々とセンターの連結がされる。
 アーノルド・ミンデルは、夢と日常意識を掛け合わせることで、そのベクトルの和は、「大きな自己」に結び付くのだという考えで、グルジエフのように夢を取り除くのでなく、夢を積極的に、人生の推進力と、並びに意識の進化に結び付けているのだ。夢を高次感情センターの活動だとみなせば、これを加えるのは当たり前の話かもしれない。

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