サビアンシンボルでアカシックリーディングする(41)20211020

サビアンシンボルでアカシックリーディングする(41)

2021年10月13日に書き始める

今回はおひつじ座の25度からかに座25度までを書く。25度は完成度の高い結晶を作る。サインはここでいったん終了する。

25度という数字の意味

 これまで25度はサインの完成地点だと説明してきた。サビアンシンボルを考えてみると、それ以後26度から30度までは次のサインへの橋渡しをする、仲介・調整的な働きがあり、これまで進んできたサインの純度の高さは失われる。次のサインが混じってくると考えてもいい。
 24度でやりすぎになり、25度は、ターミネーターというか、24度の動きを止めて、ここで完成ですということなのだ。動きを止める、完成するというのは、結晶化するということだ。製造したものはここで袋詰めもできる。
 25の数字は、足すと7であり、オクターヴの音が揃うような意味もある。この場合、2と5で、桁が違うので、最初のふたつは上位の次元にあり、残りの5つはその下の次元にあり、この上と下のコスモスの共同で7の法則が成り立つ。(もちろんこれは閉鎖されたトリトコスモスでの話ではない。)

 また5かける5というような考え方は、五角形のひとつひとつの頂点が五角形になっているというイメージだ。星の記号には、よく五角形が使われているが、もちろん人間の形も、頭、手ふたつ、足ふたつで、「火」という文字に似た五角形だ。この五つ飛び出た器官が各々五角形になり独立性、防衛性を発揮する。
 つまり25とは、総合的に「自営性」を持ち「閉じた」ものであり、すべてを所有しており、ひとりでなんでもできるというような意味合いになる。24度のとめどのなさが食い止められるターミネーターということで、1度で始まったサインの流れの堤防だ。でもこれは30度あるサインの中での25という数字について定義であり、これがまた全体の数が40くらいだと25の「位置から来る意味」は変わってくる。
 二十代の頃に夢でチベットに行った。そこで畑を耕している若者がいて、25歳だった。わたしを見て「何の用だ?」と無関心な表情で聞いた。チベットというイメージからして、それは修行者だったような意味も含まれていたが、その自立自営、外界に無関心というのが、印象に残り、わたしの25の数字に対する印象として、このチベットの若者が焼き付いた。

二重生活をする

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