サビアンシンボルでアカシックリーディングする(6)20201217

サビアンシンボルでアカシックリーディングする(6)
2020年12月11日から書き始め

光と闇の戦い

メールで質問が来た。
「こんにちは。
12月22日に光の勢力だと名乗るものによる、世界同時瞑想があるようです。
瞑想をすれば地球が救える、たったこれだけの行動で地球解放の暁には光の勝利に貢献した一員として宇宙の歴史に名を残せます、とありますがどうなのでしょうか。
水瓶座で木星と土星が重なる時間に合わせているようですが集団瞑想は危険だと言われています。松村先生の見解をおしえてください。」
 これはツイッターで流されている情報についての質問らしい。引用されたツイッターの文では、「光の勢力は地球近傍軌道の全キメラ艦隊を掃討しました」とある。また「水瓶座の時代最終立ち上げ瞑想本番に向けて」何度か予備瞑想もあるらしい。

 闇の勢力に対して光の軍団が勝利をするという思考スタイルは、いつの時代でも登場してくるが、このためにはなんらかのタイミングが必要とされる。今回は2020年の今年、12月22日に土星と木星がグレートコンジャンクションするきっかけを利用しているということだ。以前なら、1999年とか2013年とか、ハーモニックコンバージェンズで、富士山やシャスタ山に集合とか、ほかにもたくさんあったし、何かきっかけがあるたびに、このような運動が一部ではじまり、そしていつのまにか忘れられていく。
 この光と闇という二項対立概念を作り出すと、ブラックホールから光は出られないという関係のように、ひとつが強まると反対も同じくらい強まる。というのもあわせてひとつだったものが、ふたつに別れたら、お互いに縁が切れないまま相対的に動くことになるからだ。これは中国の陰陽魚図で見るように、あるいは瓶の中にふたつの液体を入れたように、両方が相手を意識しながら動く。
 闇を撃退しようと頑張る勢力は永遠に光になり切れない。というよりも、光と闇という対比を作り出すと、この闇と同じ身の程の光となり、その範囲から出ることができなくなる。それは本当の光とは違うのだと言っても、そもそも光の定義がしっかりしていないので議論が成り立たない。科学で扱う光というものと違うのはだれでもわかるだろうが、太陽の光という時、太陽の創造の光線というものと、可視光線は違うものだが、おおまかにあわせて太陽の光という言い方をする。
 カバラでは、太陽の光は暗黒であり、そこでは本当の創造の光は届かない。わたしが良く言う恒星の創造力は、自立的、自発的な光で、永遠の熱源のようなもので、恒星は光のボディだとみなす。可視光線が伴っても伴わなくても構わない。恒星が自分の周りにより低次な対象物として惑星を作り出した場合、恒星は太陽となるが、惑星は自ら光を発することができず、太陽の光を受ける。そして常に半分は暗い。地表に満遍なく光があたるように、串に刺した焼き鳥をぐるぐる回すように自転させる。太陽から見ると、この惑星の裏側の暗闇は自分の側からは見えない。

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