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徒然なるままに:花火
人間は誰もが生まれてくる時に、五悪念のマントを羽織ってから、この世に降りて来る・・・と先日、書きました。
私が今生、羽織ってきたのは、イラ立ちの怒りと嫉妬のマントです。
だからかぁ・・・と気づいたので、後は簡単です。
イラ立たないように、怒らないように、嫉妬しないように・・・は、五悪念集合体のワナです。
〜しないように、と幾ら意識しても、現在刹那の思考が、この世に触れた途端に、五悪念から無数に派出した悪念悪業にドロドロに染まります。
〜しません! と宣言したのに、お前はもうイラ立ってるじゃないか! 怒っているじゃないか! 嫉妬してるじゃないか! と五悪念集合体は責め立ててきます。
返す言葉もありません。だってイラ立ち、怒り、嫉妬してしまったのは事実だから。
今朝のゾクチェン仏の道の前行の瞑想中に、見知らぬIT業者から営業電話が・・・
なんだ営業か・・・と思った瞬間に、イラ立ちと怒りがわき上がってきて、現在刹那の思考は、あっちへこっちへと翻弄されています。
このイラ立ちと怒りはどうすれば良いのか・・・そう、捨て去るのです。
イラ立ちと怒りも嫉妬も、あぁ ま〜たやってしまったね、と笑い飛ばして、もうそれ以上、深入りしないで、無条件に捨て去ってしまうのです。
この世に生きている・生かされている以上、またやってしまいます。
だからダメだ、ではなく、まぁ そんなものよ と、その都度、捨て去ってしまうのです。
ウンコやオシッコをするように、もよおせばトイレで出してしまうのです。
食べたり飲んだりすれば、出ます。
例え、完全に不食不飲になっても、出ます。
この世に生きる、肉体を持つということは、そういうことです。
だから、この世で肉体を持ったまま生きている限り、大小さまざまな五悪念悪業が降りかかってきます。
そんな悪念を生起してしまったことに、まずは気づきましょう。
自分は五悪念のどのマントを羽織っているのか、に気づけば、その悪念マントが生起した途端に、気づけるようになります。
気づいたら、そのまま捨て去ります。
原因探索も、再発阻止の会議も、謝罪も後悔も要りません。
五悪念集合体は、しきりに罵詈雑言を浴びせてきますが無視します。
時には、神々の姿に化けて、反省と懺悔を求めてきますが、無視します。
あまりに執拗に口撃してきたら、どんな神々でも、例え仏陀の姿をしていても、切り捨てます。
ともかく捨て去る。ただ無心に捨て去る。
もしバチがあたるのなら、どうぞ、ご自由に・・・
生への執着、肉体への執着を捨て去ってしまえば、どんな五悪念でも無心に捨て去ることができます。
現在刹那の思考は、花火です。
ざまざまな色の光が次々と広がっていきます。
花火にみとれているいるのは誰でしょうか?
花火を持っているのは誰でしょうか?
あなたはどこにいますか?
昼間に花火をしますか? やっぱり夜の方が・・・
夜の暗闇が五悪念悪業です。
この世は、そんな五悪念悪業だらけの暗闇です。
最近、ますます真っ暗闇になってきました。
パンデミックも戦争も不況と貧困も、
あなたの花火を美しく輝かせてくれます。
花火を持っているのは、あなたです。
自由自在に花火を操れます・・・ホントはね。
2022年の真っ暗闇が極まったこの世で、花火をしたかったのは・・・
誰でしょう?
花火が消えれば、水バケツに放り込んで、次の花火に火をつければ良いのです。
あなたは花火をまだまだたくさん持っていますよ。
終わってしまった花火をいつまで持っていても・・・つまらないでしょう。
捨て去れ! 捨て去れ! 捨て去れ!
捨て去ることに、何の懺悔も後悔も謝罪も要りません。
ポイっとバケツに放り込むだけです。
早速、セルフ瞑想の中で、ご自分のマントに気づかれた方もおられます。
傲慢(プライド)のダークパープル&貪欲のシルバーのマント
傲慢「プライドが自分を支えている」
貪欲「幸せは他人からの評価で決まる」
占いでよく「プライドが高い」と書かれていて、自分ではそうは思っていなかったけれど、実はプライドが高かったんだ、というか、もはやプライドの塊だったのではないか?? ということに気づきました。
周りの人より秀でていたいし、できることなら一番になりたい。
いろんなことも完璧にこなしたい。
目指すは、『ザ・できる人』でした。
でも、努力している姿やその経過はみられたくない。
『結果オンリー』で白黒つける欧米型です。
他者からの評価、賞賛が大事でした。
他人からどう見られるか、世間体、社会的評価が重要でした。
他人から良い評価をされること=幸せ
いわゆる高級住宅地を選んで家を購入する親でした。
学歴主義の彼らが選ぶ私の進学先も、偏差値が高くかつネームバリューがあるところ。
私もパープルマントを纏っているので、その後自分で決める就職先も、選ぶ基準は同様でした。
その後の転職先も、そのほとんどが本当にやりたい仕事だったからではなく、社会的評価が得られるから、という理由でした。
これが面白いくらいにトントン拍子で採用されてしまうから不思議でした。
これぞ、マントの効果だったのか。。。
結婚生活も然り。
他人から羨ましがられる結婚生活は、実際はそうでなくても、「幸せな生活」が擬似化しました。
「幸せそう」=「幸せ」ではないことに気づこうとはしませんでした。
しかし、それが自分の本心を満たすことはあり得ず、心と体にストレスとなって蓄積されていきました。
父から大絶賛され、大きな賞賛を浴びた最後の転職先で鬱になり、これまでの順風満帆な人生が崩れ始めました。
仕事を辞め、離婚→ 初の大きな挫折でしたが、それが大きな人生の転機となりました。
誰もが五悪念:怒り・嫉妬・貪欲・傲慢・無智 の1つ〜全部のマントを羽織って、この世で生きています。
もし何も羽織っていない、丸裸の人間がいたら、その人は仏陀さまやイエスさまの化身でしょう。
あなたは、どのマントですか?
恥ずかしがることはありません。
マントと肉体を羽織らないと、この世に人間として生まれてくることはできなかったのですから。
生きたまま肉体を脱ぐことはできませんが、マントは脱げます。
まず、どんなマントを羽織っているのか、に気づくことです。
5月1日のお地蔵さまの会の龍神覚醒術では、この五悪念のマントをテーマにします。
下記に5月1日(日曜)のお地蔵さまの会のZOOM IDとPWがあります。
注:明日4月24日のお地蔵さまの会とお間違えのなきように!
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