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病院で死ぬな!

拙著「黄泉医学」から・・・

死のステップ その4
 死とはどういうものなのか? を知ってしまうと、
 もう死を怖がったり、嫌がったり、不安がったりせずに、
 今生を「まぁ仕方ないな」と許して、
「まぁよくやったよな」と認めて、
「良いところもあったよね」と褒めて、
「うれしかったな。ありがたかったな」と感謝すれば、死を楽しむことができます。
 想念の現実化を楽しめれば、光の世界へと簡単に昇っていくことができます。
 死んで魂が肉体から宙に浮かんだ時点では、まだ、生きていた時の思念、さまざまな感情、後悔や決心が魂にまとわりついています。
 生卵の白身と黄身のような感じです。白身が思念や感情など、黄身が魂です。
 その白身の思念が幸せ、感謝、悦び、満足で満ちていれば、黄身の魂はツルッと白身から抜け出して天へと昇っていけます。
 怒り、絶望、苦しみ、悲しみ、憎しみ、嫉妬、恨み、呪い・・・などの重い思念は、ベトベト&ドロドロの白身となって黄身の魂を取り込んでしまいます。
 ベトベト&ドロドロの思念には、同じ思念が集まってきて呪われた地のようになってしまいます。
 この世で最たる呪われた地は病院です。
 ICUなどで人工呼吸器やペースメーカー、大量の点滴と昇圧剤などで延命治療されている患者さんの魂は、すでに肉体を離れて宙に浮かんでいます。
 まだ完全に死んでいないので、臍の緒のような命の緒で魂と肉体は繋がってはいますが、魂は想念の現実化をすることが可能な状態です。
 その患者さんが抱いていた思念や感情も、魂と共に宙に浮かんでいます。
 美しい思念や良い波動を持った魂を天からの光が、病院を漂う霊障や動物霊、邪鬼、悪しき思念から護ってくれます。
 ベトベト&ドロドロの思念に囚われた魂は、病院を漂う悪しきモノたちに飲み込まれていきます。
 ベッドに横たわる肉体には、動物霊や邪鬼、そして死んだことにまだ気づいていない、さまよえる魂たちが入ってくることもあります。
 いろいろな動物霊や邪鬼などが、入れ替わり立ち替わり瀕死の肉体に入ることもあります。
 何のためにそんなことをするのでしょうか?
 瀕死の肉体に入って、究極の家族愛を学んだり、許しや感謝を学ぶために・・・生きがい論ではそのように説かれてきました。
 自宅で家族に看取られて亡くなる時には、確かに別の魂が学びのために瀕死の肉体に入ることもありましたが、病院で死ぬのが普通になってしまった昨今では、動物霊や邪鬼などが学びの魂など押しのけてしまうことがほとんどです。
 病院に漂う動物霊や邪鬼などが瀕死の肉体に入るのは、わずかに残った腎精気を吸い取りたいからです。
 強い怨念を持っていた肉体に入ると、動物霊や邪鬼は一時的ですがパワーアップできます。
 面会に来た家族、特に老人と子供を、まるで待ち伏せしていたかのように狙って憑依できます。
 病院に診察や面会に行くと、なんだかとても疲れる、体調が悪くなる・・・のは、ベトベト&ドロドロの思念の波動を浴びて、動物霊や邪鬼に憑依されかかったためです。
あな恐ろしや・・・

 死に方の極意 その4
 病院で死ぬな!


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