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徒然なるままに:人生の節目

9年前の記事から・・・

おはようさん 2013.4.23.
先日の光の前世療法 個人ワークでのお話。
50代の調理師さんで、このまま今の仕事を続けていいのか?を悩んでいる様子でした。
見えた過去生は、今生のパラレルの人生で、とても似通っていました。
過去生での死の場面では、今生でやってきたこと、仕事のことも含めて、とても満足していました。
どんな人生行路でも、
亡くなるその日に「幸せだったな。がんばったな。よかったな」と満足して死ねたら良いですよね。
死に際の満足度は、「生きがい」のバロメータのひとつだと思います。
過去生の死の後、魂・意識体となって上にあがって、生きてきた人生を振り返ります。
光の前世療法では、そこで人生の節目を見てもらいます。
人生の中にはいくつかの節目があります。
今、見てきた過去生の中の最も大きな節目を見ることは、実は今生の「今」目の前にある節目の右の道・左の道の行く末を見ることと同じ意味があります。
過去生の節目から、さっき見てきた人生とは別の人生行路が伸びているのが見えます。
その別の人生を最後の場面まで見ていきます。
さっき見てきた人生の結末とは、まったく違った結末を迎える人生もあれば、あまり変わらない人生もあります。
さっきの人生より幸せな結末もあれば、不幸な結末もあります。
それを今生の「今」にフィードバックして、目の前の節目をどちらへ進むのか? 決心する参考にしていただければ幸いです。
この節目のワークで、光さんはいつも言います。
「どちらの道へ進んでも正解だよ」
例え、幸せ・不幸せを分ける節目であっても、「どちらへ進んでも正解」なのです。
幸せな最後を迎えれば、「幸せだった」と満足して死ねます。
不幸せな最後を迎えても、「がんばったな」と満足して死ぬことができます。
例えば、財産・物欲・権威・権力・名声などを幸せだと思い込んでいると、死に際では「幸せ」だと思っていても、はてさて、死んで魂・意識体となって上から今生を振り返ってみた時に、まだ「幸せ」だと思っているかどうか・・・ちょっとどうかな?
どんなに盛大なお葬式をあげてもらっても、上から見ると、参列者のみなさんの心の中は丸見えですからね。
遺産相続・権力継承・親の七光り・・・参列者のみなさんのエゴと我欲を見ながら「幸せだぁ」と思う魂・意識体さんはいるかしらむ?
まぁ、それを含めて「正解だよ」というのは、光さんの懐の深さ&慈愛のたまものです。
例えば、無縁仏で寂しく亡くなっても、その死を聞いて、こころから涙してくれる人がいれば、「ありがとう」とこころから祈ってくれる人がいれば、上にあがった魂・意識体は身震いして喜びます。
「魂の波動が上がった」と感じる瞬間ですね。
(魂の波動云々・・・これも我欲&エゴの幻覚なのですが。まぁ、お楽しみですから良しとしときましょう)
例えば、財産・権威・権力・名声を「我がもの」とせず、天命&天職のために使い尽くして今生を終えられれば、死に際でも、死んでからも、「幸せだった」と思えるでしょう。
光さんは、財産・物欲・権威・権力・名声などを捨てろ! とは決して言いません。
もちろん、どこどこへ寄付しろなんて言いません。
たくさん寄付すれば、極楽往生できるとか、より高い天国に行ける、なんてバカバカしいことも言いません。
「今生は誰が計画しているのですか?」と光さんに問えば、
「あなたです」「あなたと私(光さん)です」と答えが返ってきます。
財産・権威・権力・名声・血筋・家柄なども、
音楽の才能・芸術の才能・運動の才能なども、
天賦のもの、すべてが自分で選んできたのもです。
何もなければ、ないなりに、いかに生きるか? 輝いた人生にできるか?
いろいろ持っていれば、それらをいかに美しく&善く使い尽くして、輝いた人生にできるか?
どちらもキーワードは「感謝」だと思います。
天賦のものに対して、人は往々にして「自分のもの」だと錯覚してしまいます。
我欲&エゴが「感謝」を飲み込んでしまいます。
天賦のものは、神さまからの預かりもの。
だから、世のため、人のため、みんなの笑顔のために使いましょう、と「感謝」を忘れない人の人生はどんどん輝きを増していきます。
世界中でお金を刷りまくっている今。
あらゆるものを著作権で占有しまくっている今。
デジタルの美にしか感動できなくなった今。
何かをつかんでいなければ安心できない今。
誰も信用しなくてかまわない電脳世界に生きる今。
そんな今があるからこそ、
その対極に、ほんものの幸せ、ほんものの愛、ほんものの和と輪、そして、ほんものの笑顔が見え始めているように思います。
だから・・・どちらの道も、どちらの世界も正解なのです。
だから・・・今を楽しみましょう(←光さんの口癖です)

これはまだ、私の大きな人生の節目を迎える前でした。

そして門真の医院を焼失して、
心斎橋の新医院の3年間で父母の遺産を使い尽くして、
3年前に鴫野に医院を移転して・・・
この夏に、やっと心斎橋時代の負債を返し終えます。

もう自宅も車もありません。

失ったものは数知れず・・・9年前の私ならビビり上がるでしょうね。

でも、それらは、もう要らなくなったものたちです。

きっと持っていたら、しがみついていたら、今の私はいなかった。

だから、どん底に落ちて、否が応でも排毒浄化させられたのでしょう。

火事も原因不明。その後の心斎橋への導きも、自然医学や霊障医学への導きも、様々な人たちとの新たな出会いと別れも・・・すべては仏縁だったことがはっきりと見えています、今だからね。

9年前に大風呂敷に後生大事に詰め込んでいたものは、今はもうなくなってしまったけれど、

今、背負っている大風呂敷の中身は、どれも眩しく輝いているものばかりです。

一番輝いているのは、愛妻さん。

出版していただいた本たちも、出版には到らなかった小説たちも、どれもキラキラと輝いてます。

満を持して顕現して下さった仏陀さんとの仏縁も、虹色に輝いています。

そして、このどん底の中で気づいたり、学んだりしてきた智慧たちもキラキラです。

どん底は、我欲とエゴと煩悩を見事に(半ば強制的に!)浄化してくれました。

良かったなぁ・・・と思います。

まだ、こうやって生かされているからね。

毎夜の夢ヨーガも、多くのカルマを浄化してくれました。

時には、思い出すのが辛いこともあるけれど、
どん底に鍛えられたおかげで、今は向き合うことができます。

昨日は、深い深い内なる自分が羽織っていた怒りとイラ立ち、嫉妬のマントを脱ぎ捨てることができました。

まだ寒くてブルブル震えるけれど、素っ裸は楽しいよ、嬉しいよ!

五悪念:怒り・嫉妬・貪欲・傲慢・無智 の中で、どのマントを深い深い内なる自分が羽織っているのか?

これに気づくと、
この世を生きるのがもっともっと楽に、楽しくなりますよ。

無智のマントを被っている人は、気づくことができないのが難点だけどね。

つまり・・・こんな徒然話に不思議な縁で引き寄せられてしまった方々は、すでに 無智 は卒業した! ということです。

あぁ 善き哉 善き哉。

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この深い深い内なる自分が、この世に生まれてくる時に羽織ってきたマントを思い出す龍神覚醒術は、5月1日のお地蔵さまの会で行うつもりです。


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