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徒然天声 2021.1.15.


旅に出られない今こそ、本を読もう。
良い本を読むと、言葉と言葉の間から木漏れ日のように、思考や感情の光が差し込む瞬間があるから。

全ての文学(小説、戯曲、詩歌、随筆、日記、評論、ノンフィクション)は、翻訳作品である。
生きている中で起きるあらゆる出来事や風景や感情や思いや想いを言葉に置き換えていくのだから。
言葉にならない沈黙すら、沈黙を破って言葉にして表す。でも、その言葉を取り囲み支えているのは、沈黙である

from 柳美里 twitter

これは小説家じゃないと言えない言葉です。

私もこの1年、小説を書き続けてきたから、よく分かります。

正しくその通り。

「霊障医学」(ヒカルランド)から「菩薩医学」「地底医学」(共に未刊)に至るまでの本は、様々な形で授かってきた智恵をギュッと搾り出して、知識として書き綴ったもので、「本」ですが「作品」ではなかった。

この1年で書いた「魔界奇譚」も、「光石」も、「子女郎稲荷」も、「神明裁判」も、「クリスマス・キャロル」(仮題)も、

きっと今のこの世には到底受け入れてもらえない作品ばかりでしょうが、
本にならなくても、永遠に私の「作品」たちなのです。

それは、私が2020年に生きていた証ですが、
神々がまだ2020年を見守っていたという証なのです。

本と作品

曲と作品

絵と作品

そう、愛妻さん手作りの今日の晩ご飯も、
彼が今日、生きている証の「作品」です。

料理が作品に昇華した時、生きがいになります。

お掃除だって、お洗濯だって、そう、家事全てが作品に昇華します。

読む、聴く、見る、食べる・・・

これらを味わいながら、嬉しい、楽しい、可笑しい、すご〜い、と
ちょっとでも魂がプルプル震えたら、目を閉じてフッと息を吐いて、
そして、目を開けてごらんなさい。

そこには、生きがいでラッピングされた「作品」が見えますよ。


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