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徒然なるままに:無位無冠

還暦を迎えた時、脳外科専門医を辞退した。

頭の手術をしなくなってから20年を経て、

最先端の知識と技術についていけなくなった・・・のではなく、

20年経っても、変わり映えしない学会そのものに愛想が尽きたのだった。

医師国家試験の数倍? も勉強して、5年間の徒弟制度に忍従して、ようやく手に入れた資格だったが、その意味を考えた時、自分の醫術を縛りつけ、貶めようとしている魔の手であることに気づいたのだ。

キラキラ輝く権威と名声の巨大広告塔を捨ててしまうと、な〜んだ、ただのハリボテだった・・・ことに失笑してしまった。

65才で就活してみると、なるほど「専門医」や「博士号」とはこういう時に役立つ? のか・・・と気づいた。

それは婚活マッチングアプリの 自称美男美女 家柄や出身校 年収や資産・・・のようなもので、数多の医療従事者たちががんじがらめになっている姿が可笑しかった。

私が大学の博士課程で気づいたこと・・・それは実験データーは、実験者や指導官の思惑どおりにどうとでもなる・・・ことだった。

白が黒となり、赤が青となる・・・思いのままに。

その気づきが2020年のコロナ騒動のバカバカしさをいち早く見抜く智慧となってくれた。

だから人生の失敗や挫折にムダはないのだ。

さて・・・医者人生の中で積み重ねてきた肩書きを捨て去っていくと、まわりに屯する人間という生き物が前よりとてもよく見えてきた。

鋼の鎧兜を脱ぎ捨て素っ裸になったてみると、この世を覆い尽くしているソーシャル○○が霞と化してしまい、天地自然の息吹、生き物たちの慈悲と慈愛と感謝と一体化できてしまったのだ。

これはとてもすごいことだった。
生命とは何か? がわかったような気がした。

無知無明だからこそ、位冠を欲し、奪い、競い合う。

森羅万象をごらん・・・人間以外で位冠に執着している生き物はいるかい?

魂は自由だ。天地自然も自由に満ちあふれている。

自由だからこそ、光と遊び、闇に眠ることができるのだ。

自由だからこそ、風に乗り、愛を創造できるのだ。

自由だからこそ、
肉体は虹と化し、こころは感謝であふれ、頭は阿頼耶識を溶かし、魂は神となるのだ。

位冠は内なる仏性を覆い隠す幌だ。
光明に至り智慧の泉を飲めば、新たな己が宇宙を創り出すことができる。

すべての理に仕える者たちに告ぐ
今こそ位冠を脱ぎ捨てよ

自由になるのだ

然すれば、もはや老にも病にも、死にさえ 追いつかれることはない


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