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徒然なるままに:夜

岡本よりたかさんの記事から・・・

「暗いから夜だ」
世間では、電気代やガス代が大変なことになってきてるらしい。
僕は、数年前から準備はしてきたつもりだが、仕事に追われていると、結局、エネルギー省力化のハードルは上がる。
12年前の3月11日のあの日、大熊町の海岸べりから天に向けて悪魔が飛び立った。悪魔は大気圏を越えることなく横へ横への広がり、日本中を覆った。
あの日以来、しばらくは夜に暗闇が訪れる。輪番停電というものだった。
エネルギーの供給源を絞られてしまうと、僕らの暮らしが暗く息苦しいものになるということを知る。
その2011年の更に12年前、同じことを感じる経験をした。それは肥料が買えないという経験である。
農業を始めた僕は、当初は肥料がないと作物は作れないと思っていた。
刷り込みということではなく、そもそも野菜などというものは人の手によって栽培される不自然な植物であり、到底自然の適者生存の中で生きられるほど強くないと思っていたからだ。
肥料売り場に行くものの、その匂いに辟易した。牛糞、鶏糞が匂うのはもちろん、化学肥料の匂いたるや、とても食べ物を作る匂いではない。
肥料がなければ、停電のように畑は真っ暗になる。肥料は国の豊かさの象徴となる経済社会の申し子のようなもの。
肥料もエネルギーの一つであり、それが無くなれば、人々の暮らしは貧しく苦しいものになる。
…と思い込んできた。
だが、現実は違っていた。
黒澤明の「夢」という映画の中でこんな場面がある。自然豊かな村に迷い込んだ若者が、水車を治している老人にこう訊ねる。
「灯りがないと夜が暗くないですか?」
すると老人はこう答える。
「暗いから夜だ。夜まで昼間のように明るくては困る。」
その通りである。
"肥料がないと野菜が育たないのではないか"
という疑問に、今なら僕はこう答える。
"肥料がなくても育つから植物である。肥料がなくては育たない植物では困る。"
地球上の植物は、人がわざわざ肥料など与えなくても育つものである。そうでなければこの地球は成り立たない。
もし、植物に肥料が必要なら、この地球上に動物などいるはずがない。肥料がなくても植物が育つなら、野菜とて植物。人の手で繋がれたとしても、本来の生命力で育つはずなのである。
じゃあ何故育たないのか。
答えは一つしかない。それは、人々が肥料がないと育たないように環境を破壊しているからである。
それが無肥料栽培を実現する基本中の基本なのである。
電気代が高くて暮らしていけないと言う。しかし、本来は人は電気など無くても生きていけるはずである。
電気がないと暮らしていけなくなった原因は、人々による環境破壊ではなかろうか。
開発と開拓。便利な物と新しい物への執着。そして、自分の力で生み出せないエネルギーへの依存。
エネルギー依存度を下げる為に、生き方、暮らし方を変える。その第一歩が自給農であり自然農なのである。

隠岐に移住して三日目・・・

仮住まい中の五箇のロッジの夜は真っ暗です。

携帯電話のアンテナも辛うじて1本・・・あの電磁波毒もどんどん浄化されていきます。

山陰の冬の夜空ですから満天の星空 ではありませんが、子持ちししゃものように雪ん子をいっぱい孕んだ暗い雲空も、また一興。

陰はすべての生命の源

闇はその生命たちの揺りかごです

電気があるから
ガスがあるから
水道があるから 暮らしていける・・・これも現実です。

ナウシカの長老が言ってましたね。

火を使いすぎる・・・
ワシらも少しは火を使うが、あの者たちは使いすぎる・・・

医学も同じです。

我欲とエゴと煩悩がドロドロに絡み合った医学を今、間近に見せつけられています。

すでに人間が生来賜ってきた自然治癒力も蘇生力も、免疫力の破壊と共にボロボロになってしまいました。

もっと検査を、もっと薬を、もっと手術で改造を!

身体の悲鳴が聞こえますか?

身体の声は、この天地自然の声そのものです。

醫術は、まず見聞きで始まります。望診、問診、嗅診です。

そして触れます。感じます。繋がります。

やがて声が聞こえてきます。

身体の声、こころの声、頭の声、魂の声、そして病の声も・・・

ただ声を聞く・・・それだけで何かが始まります。

天地自然が動き始めます。

春夏秋冬 生老病死 天地自然の理に則ったとき、本当の癒しが起こります。

死は節分にすぎません。
笑みを浮かべながら、ありがとうを呟きながら死ねたなら、それは解脱できた証です。

醫術とは声を聞くこと、繋がること。
病を踏み台にして、本当の幸せに導く術なのです。








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