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徒然天声 2021.3.28.

光と風の時代

3年前の記事から・・・

ごきげんさん 2018.3.28.
光の経営 光の時代の経営者たちへ
去る者は追わず
 お金でも人間関係でも地獄をくぐり抜けてきた経営者は、相手の逃げを慈愛を込めて見送ることができます。
 自分自身がドン底でもがき苦しんでいる時に、何度も敵前逃亡しようとしたことがあるからこそ、苦渋をあおりながら磨き上げられた共感力が発揮されます。
 あの時の自分を思い出せば、逃げていく相手の気持ちが痛いほどよくわかります。
「オレもあの時、もう終わりにしようと決めていたんだったなぁ」
 そう思うと、もう怒りや憎しみ、悲しみなどは湧いてきません。
「あの時、あの偶然が起こらなかったら、オレも逃げ出していたよな。今のオレはなかったよな」 
 天意を知っている経営者は、去る者を止めません。
 それは、去るべき者が去るという天意かもしれません。
 それは、去る者が留まれという天意に気づけなかっただけかもしれません。
オレはあの時、天に助けられながら、あの地獄で魂を磨き鍛え上げることができたんだ。
コイツにも天の試練がやってきただけだ。
その試練に立ち向かうのも逃げ出すのもコイツ次第だ。
立ち向かうのなら、天意にそって出来る限りのことはしてやろう。
逃げ出すなら、笑顔で見送ってやろう。
コイツの魂に寄り添い、あるがままに支えるのがオレの天命だ

 生きるか死ぬかの激戦の修羅場を共に戦い抜いてきた戦友は一生の友となります。
 親子兄弟よりも強い縁で結ばれる、と言います。
 経営者は地獄が差し迫って来た時に、ここで一生の友を天授されるのだ、と喜びます。
 役目の終わった者たちが去り、天が遣わしてくれた本物のソウルメイトだけが残ってくれます。
 親子兄弟、家族の絆が試され、本物だけが残されます。
 人生をステップアップするための千載一遇の機会ですから、魂が歓喜の声をあげて喜んでいるのが伝わってきます。
 地獄の中にいて、なぜか笑顔でいられる経営者は、間違いなく天意と共にあり、天授の友との出会いを待っているのです。
 地獄の中だからこそ、天の祝福をこころから味わえるのです。
 この世は陰陽が織りなす宇宙の理の中にあり、栄枯盛衰、すべての経営に春夏秋冬が移ろうことを天から教えられた経営者は、ドン底でも諦めません。天に護られているわずかな兆しを見つける度に、天を見上げ、立ち上がることができます。
 人生という命がけで天意を果たそうと、もがき苦しんでいる経営者の心情は、同じ地獄を見た経営者でなければ感じ取ることはできません。すべての社員が逃げ出しても、ただひとり、天意の嵐に立ち向かいます。
 そんな必死の経営者を支えようと、まるで天の雷に触れたように、共に戦い抜いてくれる友が必ず現れます。
 天意と共にある限り、去る者は追わず。追ってはならないのです。
「今月末の支払いの目処が立たない。倒産必至だ」と打ち明けた懐刀のアイツまでもが、まさか逃げ出すとは・・・と嘆く必要はありません。
 それはアイツの役割が終わっただけのことで、天意はあなたを必ずどこからか見守っています。あなたを次の高次のステップに導いています。
 アイツを笑顔で手放しても、倒産廃業の修羅場を実体験するかもしれません。それはそれで必然であり、100%あなたのための天意なので大丈夫。思っていたよりも淡々と事が運び、次の高次のステップに立っていることでしょう。
 多くの場合、修羅場は訪れません。どこからか天意に沿った救援助者が現れて、あなたの窮地を救ってくれます。
 予想だにしなかったギリギリのお金が手に入り、ギリギリのところで何とかなってくれることを経営者は知ってます。もちろんそれに甘えることは天意に背く御法度だ、ということも肝に銘じています。
 これが経営者のみが体得でき、社員には得られない天意の醍醐味です。この天意を心得ている経営者は、去る者を追いません。去る者の背中に慈愛と感謝を投げかけることができます。その慈愛と感謝が経営者のオーラーとなり風格となって、経営者の波動をより美しく高めてくれるのです。

そして今、

伴侶や親子の間でも、この「天意」の激流が押し寄せています。

何かに必死でしがみついている愛する人が魔界への激流に飲み込まれようとしている今、何とかその手をつかんで引き上げようと踏ん張っている人たちからの叫び声が聞こえています。

経営者と去る者は他人ですが、愛する人は、愛の契りを交わした人や血を分けた親子ですから、「去る者は追わず」はとても難しい関門です。

手を握ったまま一緒に魔界への激流に飛び込むのも

手を離して一生後悔懺悔の道を歩むのも 決して「天意」ではありません。

では、どうしたら良いの?

それは昨日の「光と風のセッション」の中でお話した通り・・・キーワードは「軸足」です。

激流に流されている愛する人を助けようと自ら飛び込んでも溺れるだけです。いくら泳ぎに自信があっても必ず溺れます。

手を握ったまま何とか引き上げようと頑張っても、やがて手は離れます。
溺れる者は藁をもつかむ で一緒に激流に飲み込まれるかもしれません。

あっ あんな所に救命浮き輪がある! が「天意」です。
でも、手を握ったままでは浮き輪は取れません。そこで・・・

「さぁ どうする?」 なのです。(←拙著「龍神覚醒術」をどうぞ)

過去生の中に、今と同じシチュエーションがあり、その時、どうしたらどうなったのか? が大きなヒントになってくれることもあります。

今生のこれからの未来の平行次元たちが、こうすればこうなる、ああすればこうなる、を見せてくれることもあります。

今が今生の大きな節目、分岐路だと感じたら、「光の前世療法」へどうぞ。


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