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「でも」の呪縛と仏陀の道

8年前の記事から・・・

8年前と言えば、門真 奥山医院の最後の頃ですね。

まだ普通の町のお医者さんをしてました(^^ゞ

この頃も心の病の方には、ひとり30分以上かけて診療してました。
保険診療で普通の風邪の患者さんと同じしか保険点数取れなかったのにネ

きっと 時間をかけて、しっかりと見て、聞いて、触れて、考えて・・・が私の診療の根本なのでしょう。

さて、心の病の方と不幸病の方に共通していることが
この 「でも」but です。

でも・・・ だって・・・ でも・・・ の無限ループに陥っています。

そんな方々は
① 自分の我欲とエゴと煩悩の何かに強く固守しています。
② 自分の過去の憎悪や嫌悪感、愛憎や悲哀に強く執着しています。
③ 自分を信じること、自分を愛すること、自分を許すことができません。

これらの病の根源は、薬では治せません。

カウンセリングでも無理でしょう。
虚無に放り出すことになってしまいますから。

心理学はラベルを貼るだけで何の根本治療にもなりません。

宗教界も、医学界と同じヒエラルキー世界ですから、
心から信じられる、帰依できる何かを与えることはできません。

そんな中で昨年末に、お地蔵さまに出会いました。

お地蔵さまが不思議な仏縁を繋いで下さり、今は仏陀さまの教えを学んでいます。
日本の仏教界は我欲とエゴと煩悩の権化ですので、ずっと避けてきました。
お地蔵さまが繋いで下さったのは、チベット仏教の中のゾクチェンです。
今は、毎週2回のzoomでの前行と結行、ティーチングを楽しんでいます。

どんな神さま、信仰でも構いません。
自分の中に神さまや祈りがあれば、先の①②③をクリアすることができます。
それが心の病の根治に繋がります。

まずは我利で良いのです。
我利だから、いずれ利他に目覚めることができるのですから。

「でも」の呪縛から自ら這い出すこともできます。
いずれ「でも」は過去と未来のもので、「今ここ」には「でも」はないことに気づけますから。

こんな魔界だからこそ、今、仏陀の道がはっきりと見えてきたのです。

おはようさん 2014.2.5.
今日の外来で。
強迫神経症の若い女性さん。
どうしたら私は治りますか? を繰り返し聞かれている間に気づきました。
アンタの「でも」but をやめればええんや!
ご本人、えらく納得された様子で、
アドバイス ありがとうございました! と勇んで帰っていかれました。
交渉術では、まず相手の話に同意して、but で、こちらの提案を出すと勝てるそうですが、普段、使いすぎると精神が疲れて病んでしまいますよ。
強迫神経症の方は、「でも but」で自分を否定しているように思います。
光の前世療法で光さんに「どうしたら自信が持てますか?」と尋ねると、
「自分を信じなさい」のメッセージが返ってきます。
「でも but」が口グセになっちゃってる人は、どうもこの「自分を信じる」ことが苦手のようです。
本当は自分に自信がないから、相手の話を素直に受け止められない。
だから「でも but」で未開封のまま相手に投げ返してしまう。
言葉尻をとらえたり、威嚇するような強気な態度で自分をガードしてしまう。
そしてどんどん神経症が重くなっていく。
そんな悪循環を何度も診てきました。
「でも but」をやめればええんや! が素直に腑に落ちたこの患者さんは、間違いなく治ると確信したのでした。

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