徒然なるままに:意識の源
ゾクチェン仏の道では、意識の源は現在刹那の思考のみだ、と説かれています。
龍神覚醒術で空と無の世界へ、空性へ、光明へと赴く際に、
この現在刹那の思考=意識の源 を通ります。
それはこんな感じです。ここが空性でもあります。
この光の滴が飛び出してくる一点こそが 意識の源=現在刹那の思考 です。
現れたひとつの光の滴に意識を集中していると、そのまま時間の流れに流されて、意識は我欲とエゴと煩悩とカルマを雪だるま式にまといながら、最後にはこの世に降りてきます。
光の滴は次々と無数に現れてきますから、それを見つめている意識もフラフラとあっちへ、こっちへと移ろい続けます。
この光の滴は現れる一点に飛び込むには、無我にならなくてはいけません。
無我の存在・・・龍神です。龍神と一体化すれば、意識は無我となります。
そして無我の龍神と化して、この一点に飛び込むと、
そこは光明です。
光明には、仏陀さまが深く瞑想されたまま坐しておられます。
光明には、もう光も闇もありません。あるのは愛だけ。
慈悲と慈愛と自由と喜びと感謝だけがトロトロに溶けあって広がっています。
そのトロトロに溶けた愛が一点の穴から噴き出した瞬間、光の滴と化します。
それが現在刹那の思考=意識となります。
ですから意識の源とは、仏性であり、仏の愛であり、それをちょっと紐解けば、慈悲と慈愛と自由と喜びと感謝になるのです。
ちなみに、この光明に涅槃があります。
ひとりひとりが自分の涅槃を持っています。
私の涅槃はこんなところでした。
もし死んだ時、自分の涅槃を思い出して、涅槃に帰る! と意識を涅槃に向かってロングスローすれば、刹那に涅槃に戻っています。
これが解脱です。
さて、意識の源に話を戻すと・・・
仏陀さまが夢の修行の中で仰いました。
空と無の世界、空性、光明、そして意識の源は、おっぱいだよ。
赤ちゃんから見ると、おっぱい全体が空と無の世界です。
乳輪が空性で、乳首が光の滴が溢れ出してきている一点(=現在刹那の思考)です。
赤ちゃんは母乳を飲む時、無心です。無我です。
乳首を探して、吸いつけば、もう満足するまで離しません。
これが現在刹那です。赤ちゃんが母乳を飲んでいる時、赤ちゃんの時間は消えています。
動いている、止まっている、ではなく、時間は無に帰しています。
無心だから、無我だからです。
赤ちゃんを眺めている他人には、ちゃんと時間が流れています。
それは、その人が現在刹那に止まっていないから、時空間に流されているからです。
では、赤ちゃんが乳首から飲んでいる母乳は、どこから来たのでしょうか?
乳房の中から? でも乳房に中に母乳はありませんよ。
乳房の乳腺葉を潤している血液から母乳が生まれます。
乳首に溢れ出した母乳は、お母さんの血液が生み出したものです。
母乳=現在刹那の思考 ならば、お母さんの血液は、お母さんの愛です。
愛とは、慈悲と慈愛と自由と喜びと感謝です。
お母さんの血は、これらの愛の波動でいっぱいです。
乳房が光明だとすれば、乳腺と乳腺葉が仏陀さまでしょう。
それらを潤す血が仏性です。
慈悲と慈愛と自由と喜びと感謝です。
光明は、そんな仏性に満ちあふれています。
愛しかない世界。だからこそ涅槃なのです。
それ以外の涅槃ってありますか?
もしあっても、そんな涅槃へ帰りたいですか? と仏陀さまは笑われました。
では、哺乳瓶でミルクを与えるのはどうでしょうか? と仏陀さまに尋ねると・・・
哺乳瓶の中のミルクが、赤ちゃんと同じくらい無欲無我無心であれば良いのだよ。
哺乳瓶でミルクを与える=智恵や知識、学びを誰かに与えるのと同じだよ。
そのミルクが我欲やエゴや煩悩、悪念悪業で穢されていなければ、まったく問題はないのだが・・・今の世に、今の宗教界に、果たしてそれができるかの?
毒ミルクを清浄なる赤子に与えてはいけないよ。
毒された智恵も知識も学びも、赤子を魔人におとしめるだけだから用心しなくてはいけないよ。
犬猫の赤子をご覧なさい。
自然に母の乳首を探し出して、何とかして乳首に吸くだろう。
毒されたミルクは要らない。
そっと抱き上げて、母の乳首の近くに優しく置いてあげるだけで良いのだよ。
後は天地自然の理に任せなさい。
必ず乳首に吸いつくから。
あなたも、覚者聖者たちも、仏陀である私も、そうだったのだから。
空性の一点、乳首に吸いついたから、時間と空間と輪廻から自由になれたのだよ。
私にできたことは、人間 誰にでも出来ることです。
誰もが仏陀なのだからね。
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