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徒然なるままに:真の方便とは

岡本よりたかさんの記事から・・・
環境活動家、無肥料栽培講師。シードバンク「たねのがっこう」主宰。(株)岡本商店運営。オカモトデザイン運営。著書「種は誰のものか?」「無肥料栽培を実現する本」「野菜は小さい方を選びなさい」等


「僕が映像の仕事を辞めた理由」
僕は30年前はTVディレクターだった。
もちろん辞める理由は一つではないが、全てに嫌気が刺したのは間違いない。
TV映像のほとんどは真実である。決して嘘ばかりではない。だが、僅かに入り込む嘘が全ての真実を嘘でオブラートしてしまう。
些細な嘘だ。大した事ではない。不味い料理を美味いと言う。その程度だ。
インタビューしても反対意見が出てこないから、エキストラに答えてもらう。その程度だ。
芸能人の本音と立前が全く違う。だが、ファンを失わないために本音の部分は削除する。その程度だ。
農薬が多くの農家の健康を破壊している。だが、企業を守るためにそのことはあえて伝えない。その程度だ。
その程度…。
それが製作者の実感でもある。それほど大きな問題とは捉えてはおらず、所詮どこまでもその程度だと思い込む。
だが、第三者から見ればフェイクであるし、陰謀でもあるし、マスコミの闇でもあるのだろう。
芸能人を送り出す事務所や、TVスポンサーに逆らうなど愚の骨頂だ。自らを破滅に追いやる可能性がある。
それは、どんな職業でも同じことだろう。
しかし、TVは多くの人に、あたかもそれら全てが真実かのように伝える。いや、伝わる。
僕はそれを些細なこととは思えなかった。偏屈野郎なのである。
色んなことが重なり、僕はTVの仕事に嫌気がさして、この世界を抜けようかと考え始めていたある日のこと。
とあるミュージシャンのニューヨークコンサートの録画を行った。それなりに大物である。コンサートは素晴らしいものだった。映像も美しかった。
しかし、そのコンサート映像はそのまま放送することをプロデューサーが拒んだ。
「コンサートだけで視聴率は取れない。ニューヨークなのだから、グルメとショップ紹介を挟め。」
逆らうことは不可能だった。コンサート番組は、つまらない旅番組に変換されて地上波を流れ、視聴率は想像以下だった。
自分の力の無さを悔やんだ。アーティストにも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
ところが、同じコンサートを別の有料チャンネルでも流したいという話が舞い込んだ。僕は先の後悔から、コンサートだけにしたいと進言し、許可された。
そして、それは有料チャンネル創立以来の高い視聴率を叩き出した。
僕はそれを機会にTVの世界を抜けた。自分の意見は正義だと信じ、その正義が通らないのならば、続ける意味を失うと思ったからだ。
嘘に塗れた世界だとは思わない。しかし、映像のインパクトは強く、流れた映像は視聴者は全て真実だと思い込む。
その思い込みを利用し、視聴率を稼ごうとするスタンス、スポンサーや芸能プロに頭の上がらない危うさ。
利益者に都合良くコントロールされる世界はまっぴらゴメンである。
そして、僕はTVの仕事から完全に足を洗った。

私も長年、医療業界の中で「良い子なお医者さん」をしてきて、同じ壁にぶつかり・・・医療業界のヒエラルキーから完全に足を洗いました。

それはある意味、悟りでした。

見えてしまった、気づいてしまったのです。

そしてこの5年間、むさぼるように自然医学を研鑽してきました。

既存の医療業界の中には、真の医療はとうとう見い出せませんでした。

自然医学の中には、道端の名もなき花々のように、静かに花咲いている真実がありました。

やっと真の医療に出会えた喜びと幸せを感じました。

このために今日まで生かされてきたんだなぁ・・・感謝が湧き上がってきました。

私の自然医学のゴールは祈りでした。

その祈りも、ちゃんと用意されていました。

長年、続けてきた「光の前世療法」のゴールも、この祈りでした。

祈りのゴールでは仏陀さまが出迎えて下さいました。

そしてお話して下さいました。

それは仏陀さまご自身が悟りに至られてから、弟子たちに何度も乞われて、ついに一切衆生に法を説く決心をされるまでのお話でした。

勝義諦で説いても一切衆生は救えませんよ。
あなたが世俗諦に降りて行って、一切衆生を慈悲と慈愛と感謝の思いで包み込みながら法を説くのです。
これが真の方便です。
医療も同じです。
あなたが極めた医療を、既存の医療に方便しながら施しなさい。

これが覚者から聖者への道だそうです。

一連のコロナ騒動も、そのための道だそうです。

きっとあなたなら・・・治せますよ、と仰って下さいました。

多くの人たちが今、自分なりの悟りに至っています。

それは音楽や絵や文筆、農業、料理、手芸・・・人それぞれの悟りの道ですが、どの悟りもこの天地自然には欠かせないものです。

そんな悟りが熟してきたと感じたら、方便を用いて一切衆生に分かち合いましょう。

供養しましょう。

誰に供養するの?  覚者ならもう分かりますよね。

ほら、こんなに幸せな・・・純粋に幸せな気持ちになれるなんて・・・

もうこれ以上の幸せはないことをよく知っていますよね。

もう何も怖くないでしょう。惜しくもないでしょう。

だから勝義諦なのです。「勝」の本意も分かりましたよね。

あなたが話す、奏でる、描く、作る方便は、一切衆生にとっては真実そのものになります。

善も悪もない真実そのものです。

まもなく目の前の扉が開きます。
さぁ 一切衆生を救いに行きましょう。


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