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線が輪になる本

 世の中というのは、複雑だ。高校生の時に理系分野に興味をもったのは、日常生活の中からだけでは、とても世界の不思議が紐解ける気がしなかったからだ。
 私の日常は「ユーゴ空爆」とテレビが言っているのを聞いた母が「UFO墜落?」と言って、本気でビックリしているような世界だ。言語での伝達という、この稚拙な伝言ゲームの果てに、世界の秘密は見えない。
 “もっとシンプルなポイントはないのか”。
カオスな土台の上に、カオスの話をするような世界ではない所は‥。

 いつか読んだ本の中に「すべての課題の根源は分断である」というくだりがあった。環境問題はいい例で、大地と人間を分断した瞬間に、人間がお金を出せばいくらでもゴミの排出が可能になり、結果、自然が破壊されるというストーリーが成立してしまう。この分断関係にこそ課題がある。
 だから私は「お味噌汁理論(流れの中から構造が生まれる)」を提唱し、自然世界の法則と、人間の考え方を近づけたいのだ。

 この本の中からベイトソンの言葉を借りると、
「この世界の主要な問題のほとんどは、自然の仕組みと人間の思考が食い違っていることに起因している[映画『An Ecology of Mind』より]」

 そうそう、シンプルだぞ。自分はシンプルに考えるクセがある。この感覚を表現すると、それは一本の線だ。点と点が瞬時に繋がるような体験ともいえる。
 そして「共話」の話が始まる。本の冒頭で出てきた環世界だ。ドミニクさんと愛娘の会話。ベイトソン父娘の会話。

 これは輪っかだ。ぐるぐると回り始めて、何かが生まれ始める。線の時は感じなかったものだ。この本を読むということは、ドミニクさんとの環世界の一歩なのだ。それは、誰かと対話をしたくなる一歩だ。

何かの現象を一本の線として見るのではなく、動く環として見る。それだけで静的だった体験が動的に変化する。だから、ドミニクさんはWeb上に書評のサイトをつくってるのか。さすが。
http://future.ephemere.io/
こんなデジタルとの「繋ぎ」があるなんて!

 話を戻そう。私は、もともとカオスをカオスのままにするのが苦手だった。無論、今でも苦手だ。言葉はいつも不十分で、ともすれば伝言ゲームの成れの果てだと思っている。しかし、この本は私にに環世界を与えてくれた。シンプルな線の世界をぐるっと輪っかにして繋いでくれた。

そうか、自分の中にシンプルとカオスの分断関係があったのか。
もうそれらは輪っかになって繋がっている。

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