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甲子園から感じる東北地方の課題

毎年、高校野球の時期になると必ず「東北の悲願」、「白河の関越え」といったワードがメディアの記事で目にする機会が増えませんか?

この「東北を一つに分類する」考えに対して、特に若い人達にとっては違和感を覚えた経験がある方いるのではないでしょうか。

私は、この東北を一つに括る論調が今だに残る理由に無意識な偏見・劣等感を自ら作り出している要因があるからだと考えています。こちらは、先日、仙台育英が優勝できなかった際に白河市長がメディアに語った発言です。

「白河市の鈴木和夫市長(73)は「昨年に続いて関東の地からこの白河を越えて東北の地に優勝旗は届かなかった。残念ですが、点差ほどの実力差ではなかったはず」と言葉に無念さを閉じ込めた。ただ、応援に集まった地元住民には「白河ではなかったけど、神奈川まで(優勝旗は)きましたよ」と沈んでいた会場の空気をなごませた。」

https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202308230001213.html

白河を越えて東北の地に優勝旗は届かなったとする発言、、、

本人としては、優勝できなかったことに対する残念な気持ちを表明しているだけのように思いますが、無意識に「東北地方とその他との地方との間には何らかの障壁や対立があるという印象を与えている」ということに気づいていないです。そんなことはないでしょーと言う人もいますが、発言者の意図を汲み取れない人は一定数います。

加えて、東北地方全員の代弁者として東北を一つに括っています。しかも、仙台市長が発言すらまだしもなぜ白河市長が…?

こうした発言は、東北地方に対する一定のステレオタイプ人種を強化する可能性があります。

例えば、「東北は成功していない」、「東北は常に不利な状況にある」、「東北は遅れている」というようなネガティブなイメージを持つ人々に、そのイメージをさらに強化する材料を与える可能性があるということ。

「東北の悲願ならず」とするメディア記事に並び、東北地方全体が同じ目標や願望を持っているかのように描写してしまっています。

しかし、実際には東北地方には多様な文化や歴史、価値観を持つ人々が住んでおり、一つの高校や一つの出来事を全体の「悲願」とすることは適切ではないのは明らかです。

こうした論調となった背景にあるのは明治維新にあります。

1906年出版の半谷氏による「将来之東北」にあるように、明治維新によって敗戦地域となった東北地方は明治政府によって政治的な差別を受けたことで他地域よりも発展が遅れた事実が記されています。

とはいえ、そうした東北地方の開発の遅れからの振興を図るために東北地方出身者が地道に努力したことで今日の東北があります。ちなみにこうした東北振興論が後に渋沢栄一による東北振興会の設置や国策株式会社の設立などを実現しています。東北地方が自然との調和を図りつつ経済的にも豊かな地域に発展したのは先人達の努力の結果です。

今日で東北を軽視する人は国内でも僅かではないでしょうか。

一方で視点を変えると、東北カテゴライズは、非常・緊急事態が発生した際、共通のアイデンティティを持つことはメリットもあります。例えば、大規模な自然災害時に隣接する地域同士が協力し合い、迅速な救助活動や復興を進めることができので、県を跨いで一つの行政として機能する可能性があります。つまり、有事には強いです。

確かに、ドラマ的なストーリーテリングとして、庶民の心を動かす方法して、東北がさも遅れている地域であるかのように言葉を使って無意識に誘導し、その東北地方が国内で優勢に立つストーリーは感動を生みます。
結果として、多くの人の心に訴求し記事が読まれます。

ただ、いつまで使い続けるの?って話です。そして、高校生に過去の荷物をいつまでも背負わせるなって思うんです。

今日の格差がなくなった時代において使い続けるデメリットとして、東北と他の地域との間にある格差や差異をさも東北が劣っているとする論調を誘導し、結果的に地域間の対立や不平等な認識を持つ人を増やすことにつながる可能性がります。

現に、今だに東北を下に見る人を旧ツイッターでみかけることがあり、嫌な思いをしたことがある人もいるはずです。

現代の成熟した都市が形成されている日本において劣っている地域がないことは義務教育を受ければ分かることを踏まえれば原因がどこにあるのかは明らかです。

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