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私が其れを愛するに事足りる訳

何が私にとっての正解なのか。
どうすれば、もっと自分らしく、なりたい自分になれるのか。
本当に欲しいものを得られたその先には何があるのか。
私が欲しいものは全て表面的で、本当は要らないものなんじゃないのか。
私の心はどこにあるのか。

ふと立ち止まると疑念と不安が私に襲いかかる。
だから、私は止まれない。
だから、無我夢中で夢を追いかけるし、なりたい自分(のような気がするペルソナ)になるための努力をする。

私は今日も歩みを止めない。
夢やペルソナといった極めて朧げなものへ向かって、現実的な論理を重ねて近づこうとするのは、ある種のサイエンスフィクションかもしれない。
生きる灼熱地獄での私のオアシス。
そこに見えている水たまりが、本当に存在しているはずだと信じるために、必死に'論理的'な展開で妥当性を見出す。心がもたないから。
止まれば不安に襲われ、進めば夢という幻影のような不確定なものを妥当だと自分に言い聞かせる。
これが私である。
「私」であることにしがみついている。



一方、時折なにもかも捨てて、小さなトランク一つで、誰もいない知らない街へ、「私」であることさえも捨てて、まっさらな心と新しい価値観で出直したくなる瞬間がある。

昔から私はゼロかイチのデジタル人間で、極端な性格のせいか2つの価値観が共存していた。
ひとつを創ると、同時に対極に存在するものも創りたくなる。これが私の秩序なのかもしれないけれど。

表現欲求、創造欲求。私の原動力で、私にかけられた呪い。欲すれば欲するほど、欲が出て、生きることが苦しくなる。でもこれがないと生きていけない。

創り上げたいものはたくさんあるし、私の性質として対極のものも欲しくなるから、今思い浮かぶものがあるとすれば、その倍は創造欲求があるんだろう。

美しい画を表現するその対極には色のない文章が。
ファンタジーの世界観があれば、リアリズムの世界観。
キラキラした華やかな日々を切り取る一方で、ドープなアンダーグラウンドな日々。


気分という言葉では片付けられないほど対極なものが共存していて、時折自分が何者なのか分からなくなる。物心ついたことから空想が好きだった私は、気付けばパラノイアに飲み込まれそうになっているのかもしれない。抑圧された環境下で精神世界に逃げ込み過ぎたツケなのだ。

私は「私」として生きていくのは心地が良くて苦しい。だから何もかもに対して無頓着になりたい。

私が「自由」という言葉を愛するのには、そんな背景がある。

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