体を蝕まれようとも

―助けてください!うちの子をうちの子を!
―金ならやる!!私の妻の病を治してくれ!!
―魔女様!!魔女様!!お助けを!!

城下町を見渡せる高き塔の中。
仕立ての良いダークブラウンの木の家具が
円形の部屋に合わせて整然と並ぶ。
落ち着きのある部屋の中央に置かれた
真っ白なシルクの天蓋付きベットに腰掛ける小柄な黒ローブは
栗毛色のセミロングの髪を丁寧に編み込み
少々乱れていた体裁を整える。
音もなくベットの隙間から
黒く柔らかな弾力のある体を
くねらせ這い出てきた眼球が数多に付いたスライムは
か細い白い脚をその体で包み
モゴモゴと動き、さっと窓際に滑る様に移動する。
茶の皮のブーツを履いた足はゆらゆらと覇気なく揺れる。
スライムは黒の体躯を天に伸ばし
段々と人の形をとっていく。
左目を癖のある黒髪で覆った黄色の瞳の
黒スーツに黒手袋を着用した男となったそれは外を眺める。
多くの手がすがる様に伸び、蠢き
救いを求め、好き勝手に喚く人間。
顔を反らし、深く長い溜め息をつき
小柄な魔女と呼ばれた少女の前に跪く。
「おはよう。ウェサ。単刀直入に言わせてもらおうか。もう綺麗事は無しにしようぜ。どうしてお前がそんなにやつれなきゃいけねぇんだよ。おかしいだろうが。奴等は身勝手だ。ケッ!王に言われて少し治療してやったらこれだ!だから嫌だったんだよ!!こんな依頼を受けなきゃ良かったぜ!全くよぉ!!!」
最初は落ち着いた口調だった男は次第に口を荒げ
跪ついたままの姿勢で強く、高価そうな絨毯を殴る。
ウェサの濁った琥珀色の瞳は
怒る男に顔を合わせる事なく空を仰ぐ。
「ごめんなさい…。ごめんなさい…。」
艶のない小さな唇から放たれる謝罪の言葉には
心ここにあらずといった調子で力を感じない。
一筋の涙が血色の悪い頬を伝い
シーツを濡らす。
見るに耐えないと首を激しく横に振り歯軋りをした男は立ち上がりポケットから
綿のハンカチを取り出し、優しく涙をぬぐう。
「何で謝る必要があるんだよ。寧ろ、外で喚いてる愚か者がこうなるべきだろうが。ド畜生が!!」
懐から紙を取り出し、憎々しげに文字を睨み付ける。
『妻の病を治すヒーラーを求めている。症状は背中に白い黴が生え、髪の頂点が黄色く変色し、咳と喀血が頻繁に起こるもので原因は不明。妻だけでなく国中で猛威を奮う疫病で我々はこれをエンジェルウィンドと呼んでいる。既に大勢が死に、国民は風が吹く度に増える患者に怯えて暮らしている。癒しの力を持つ者がいないこの国に救いを。シャアヒ王国国王より。追伸。図々しい願いだがそちらには非常に優秀なヒーラーがいるという。その方が訪ねてくだされば妻だけでなく国を救えるかも知れない。是非ともご熟慮願いたい。』
紙を床に叩きつけ、腕を組み、唇を強く噛む。
「本当は上級生のヒーラーが行く筈が臆病風に吹かれて逃げやがって。三流扱いされてるがどんな危険地帯でも行くお前にこれが押し付けられた訳だよ!本当に心のねぇ人間って奴は…っ!クソがっ!」
「…実際はそこまで驚異などなく治療薬はここにあるもので簡単に作れるただ身体的特徴がおぞましいだけの風土病。ただ単に知識不足なだけ。元を正せばそんなものでしたね。問題は私が王妃様の治療後に三日三晩掛けて作った薬液を国中に散布し、エンジェルウィンドを滅してからでしたね。『ヒーラーがいない』ここが重要でした。この国の人々にとって私の行いは奇跡そのもので神の使いに等しい。私はお金も地位も要らなかったんですよ。人々が救われればそれで良かったんですよ。本当にそれだけだったのに…。その気持ちさえも逆効果…。」
呟くウェサの声が段々弱々しくなり
また頬を一筋の涙が伝っていく。
「ああそうだ!何が『神の使いは清貧』だ!クソが。さっさと帰ろうとしたら強引に幽閉されてよぉ。学園依頼で俺が手ぇ出せねぇのを良い事に…。連絡手段もねぇ。学園はこの国は良き行いにはそれ相応の代価を払っているのみ何一つ間違ってねぇ対応だと?ざけやがって。今回はガチで学園の対応はクソだな。」
ウェサはソーサラーが集う学園の
推薦部門で入学した貧民。
学園は実力者揃いの貴族揃い。
後ろ楯があるとはいえ貧民であるウェサは
あまり良い扱いを受けていない上に
気弱で断れない性格で男性恐怖症、癒しの魔術特化で
攻撃魔法がろくに使えず
様々な試練をクリアできずに燻る劣等生。
そんな彼女が大切な者を守りたいという純然たる願いですがったのが醜悪な悪魔。
学園では悪魔を使役する事は禁忌。
しかし、後もなく追い詰められていた彼女にはその手段しかなかった。
醜悪な悪魔は長年虐げられきた故に卑屈で擦れた性格であり
今回も適当に使われてお仕舞い。
そう思っていたが真っ直ぐな琥珀色の潤む瞳を見た瞬間
心を許し全力で力を貸す事にした。
長く連れ添って来た敬愛する主であるひたむきで優しい彼女が疲弊していく様と
生きとし生ける者のおぞましさと醜さを痛い程に理解している鼻つまみ者の彼は
激しい苛立ちと憎しみを募らせていく。
「今ならイカれた目をした女中達に囲まれた時点でお前にとり憑いた他の奴等を抑えてないで襲わせても良かった気がするぜ。…俺、しっかりしろ。ウェサの築いたもんと行動が無為になるじゃねぇかよ。はぁ…ムカつくぜ。全員癒してさっさと終わりってのも出来るがやり過ぎたら他の国にお前の存在がバレて無限ループ。ここら辺は本当に癒しの力が弱いねぇ。…癒しなど知らずに滅びりゃ良かったのに。」
再び涙を拭ってから数歩下がり
壁に背を預け、激しく貧乏揺すりをする。
ウェサは座っているのすら限界になったのか
左右に小さく揺れた後
後ろにパタリと倒れ込んでしまう。
「人は醜い。人は醜い。人は醜い。人は醜い。人は醜い。人は醜い。人は醜い。でも、私はこの力で救わなければならない。夢の為に。これも夢の為ですから。救える者を全て救うヒーラーになる。貧富も老若男女も関係なく平等に救うヒーラーになる。私はそんな格差を無くしたいだけ。甘い癒しで生き長らえる貴族達なんて知らない。思い出してはいけない。」
うわ言の様に言い聞かせる様に力なく同じ文言を呟く。
主の痛々しい姿をどうにも出来ない己の無力さに壁を強く殴る。
本来ならばそこから激しい打撃音が響く筈だが
フワリとした感触を拳に感じるだけだった。
「何だこりゃ。空気の塊じゃねぇか。…おい、出てこいよ。何しに来た。」
拳を下ろし、辺りを見渡すと
ロッキングチェアに揺られる
ウェサよりも小さい存在がいた。
「おはようございます。騒がしい朝ですね。お話が出来る位に静かにしましょうか。」
その存在は椅子から滑り落ち
幾重にも巻かれた包帯が見苦しい
醜く細い腕を胸の前で組み
許しを請うように頭を下げ、ぶつぶつと
人の言葉ではない音を三十秒程発する。
すると、耳障りだった人々の声は消え
しんと静まり返った。
「さて、あなた方を救いたいのですがどうすれば良いですか?最善策を教えて下さい。」
茶髪のボサボサのショートヘアーに
瞳のあるべき場所を包帯で覆った
濃い紫のローブの少女は
衣類が軽く捲れ見えた膝から下がすっぱりと無い傷だらけの下半身を隠しながら首を傾げ抑揚のない声で問い掛けてくる。
「ほお、お前さんが助けに来るとは珍しいなログリッチ。何を求めてやがる?場合によっちゃあ…。追っ払うぞ。アンデッド。」
醜悪な悪魔は眉間に皺を寄せ、腰に手を当て見下す。
そんな彼の訝しむ視線を無視して、ない瞳をウェサに向ける。
「創生主様の命によりエンジェルウィンドの情報を求め参上しました。情報を持つ方が大勢いらっしゃいましたので私の能力である死者の足跡を辿るログは満たされ成すべき事は成されました。あなた方の事もログから知り、その事を創生主様にお伝えした結果がこれです。有能な人材であるあなた方をくだらない人間共の犠牲にするな。救えとの命を新たに頂戴致しました。私の事はお答えしました。最善策を教えて下さい。私が承った策でよろしければ何も言いませんが。内容は私が疫病を広めた悪しき存在として有り、あなたを消す。そして、新たに疫病を打ち倒す存在を呼び寄せる。イレギュラーに対応出来なかった脆弱なヒーラーの称号を受けるでしょうが致し方無いですよね。」
ウェサは目をつむり顔だけを動かし、弱々しく返答する。
「えぇ、不名誉な称号を受ける事など慣れています。それよりも…。」
ふらふらとマリオネットの様に立ち上がり
悪魔とアンデッドを見据える。
見開かれた瞳は形容しがたい呪いの感情で輝きを失い、漆黒に染まっていた。
「結局、この国の人々は救われないのでしょう?貴女の主である闇の方の息が掛かった私の変わりなんてろくでもないですよね?私は誰も救えない。何もかもが無意味でした。最初から来なければ良かった。」
だらりと垂れた腕からはバッタの脚部が生え
背が盛り上がり、ローブの中が形容しがたく蠢く。
段々と人でないモノに変わっていく主に近寄ろうとする
醜悪な悪魔を制して
ログリッチは腕の包帯を伸ばし頬を撫でる。
「随分と荒んでいらっしゃる。身に宿した下級悪魔さえ御せないとは。それに普段のあなたならこんな事を仰ったりしないのに。やはり、人間とはおぞましいですね。それはそれとして。策を実行しても宜しいという認識で良いのですかね。」
包帯を引っ込め、巻き直す。首を傾げるログリッチの胸ぐらを黒手袋が乱暴に掴み、壁に叩き付ける。
「じゃあ、後任がマトモかどうか判断させろ。恐怖で支配したり、生きてる"だけ"の存在にしたりしねぇよな?テメェらに信用があると思うなよ。お前の主は己の為なら小娘救うのに国一つ平然と滅ぼすイカれ野郎だろうが。なあ?救われた小娘。」
怒りで震える形を保てなくなりつつある手首に醜い手が触れた瞬間
屍の冷たさではない冷たさに背筋が凍り付く。
「人間性を維持して生かせ。それが貴様らの総意か。実行は容易い。実に不合理だがな。」
冷淡に放たれた言葉は男のもので
己が掴んでいる者はログリッチでない何かであり
自分よりも圧倒的な存在だと理解せざるを得ない状況に置かれた
醜悪な悪魔は唾を飲み込み
小さく息を吐き、目を合わせる。
「創生主様直々のご登場か。そうだよなぁ。アイツじゃ話にならねぇから出てきたんだろねぇ。言っておくが助けられたからって俺らはお前に付く気はねぇぞ。」
「構わん。こんな事でなつかれても困る。俺はログリッチに説明させた通り、有能な人材がくだらん事で消えるのが気に食わんだけだ。無駄話は効率的でない。既に手は打った。窓の外を見てみるがいい。」
掴んだ脅威を離す事がないように
不定形で柔らかな体を伸ばして言われた通りに窓の外を眺める。
巨大な白い魔女帽子を被った金髪の女が
白色の鱗粉を撒き散らす朽ちた天使の様な見た目の化け物を光の槍で貫いてバラバラにして見せる。
人々は驚きで固まっていたがすぐに万雷の拍手を送る。
女の側には鱗粉で覆われた小さな体が転がっている。
多分、ウェサに似せた何かだろう。
「テメェ…!やりやがったな!?」
「わざわざ許可を得に来ただけで十分に良識的だと思うがな。これで貴様らは自由だ。好きにするが良い。」
憎々しげに顔を歪め、首でもへし折ってやろうかと力を込めるが
そこに肉体はなく砂が残っているだけだった。
砂は意志があるように動き、文字を描く。
『あの女の名前はアプリコット。詳しくは本人に聞け。』
自分勝手な純血に怒りを抱きながらも
与えられたチャンスを無駄にしないうちに表に出ようと窓を割ろうとする。しかし、会話を聞いていたであろうウェサが元に戻り、気を失って倒れる音で拳は静止する。
「ウェサ!!しっかりしろ!」
既に人の形を保っていなかった体でウェサを包み込み、怪我がないか調べる。
何もないと安堵した瞬間、コツコツと靴を鳴らす足音が近寄ってくる。バレては不味いとウェサを包み込んだままベットの下へ滑り込む。
「ありがとう。有用に使わせてもらうわ。」
下に居た白い魔女帽子の黒パフスリーブワンピースの女が外に向かって優しく声を掛け、手を振って見せる。
扉を締めると小脇に抱えていた何かをベットの上に置き、下を覗き込む。ルビーの様な紅い瞳が好奇心たっぷりに光る。
「ハロー。そんなに警戒しないでよ。お話ししましょ?私はアプリコット。魔法使い族の素敵な魔女。人間じゃなくてごめんなさいね。それよりも…あの方の息が掛かった存在はお嫌い?」
ニッコリと微笑むアプリコットから距離をとり
窓際まで滑る。
「お前の倫理観でも聞かせてもらおうか。奴等をどう扱うつもりだ?」
「そうね。貴方の小さなご主人様ほど出来た性格してないから、貴族優先で治療して回ろうかしらね。だけど…。搾り取るだけ搾り取りたいから完治はさせないの。フフフ。貧民には優しくするわよ。あの子達から何が奪えるのかしら。どう?魔女らしい答えでしょ?ちなみに私は癒しの魔女じゃなくて均衡の魔女。癒しは手段の一つでしかないの。」
「そう来やがったか…。」
不快そうに体をぶるぶると震わせる醜悪な悪魔を見つめながら
アプリコットはベッドに腰掛け
抱えていた何かをもう要らないとでも言いたげに潰して破裂させる。
「満足出来ない?強欲ね。満たされも飢えもしない均衡が最も美しい解決方法だと思うのだけれど?それじゃあ…。」
話の途中でアプリコットはワンピース裾を持ち上げ、捲り上げる。
突然の行動に醜悪な悪魔は眼球を隠す。
「私が貴方を色仕掛けで惑わせるとでも?そんな訳ないじゃない。理由ならあるわよ。よく見てちょうだい。」
言われるがままにアプリコットの方へ眼球を動かす。
腹部には数多の刺し傷があり
そこをアプリコットは伏し目がちに撫でる。
「私の能力の均衡は強大なのよ。何もかもを均衡に出来るから。代償は見ての通り。具体的には子宮を傷付けないといけないの。魔女って言葉は魔法を使う女って意味じゃない。そう、魔女である事を犠牲にしなきゃならないのよ。この重さが男の貴方に理解できるかしら。そして、わざわざこんな話をする意味も分かるわよね?」
「初対面の俺らにそこまでするのか?お優しいねぇ。…奴の命令か?そうだとしたらやっぱり、奴は外道中の外道だな。」
体を毬栗の様に逆立て怒りを表す醜悪な悪魔を薄笑いを浮かべながら眺め、裾から手を放す。少し乱れて戻ったワンピースを正しながら返答する。
「命令と言えば命令だけどね。ここまでしろとは言われてないわ。個人的な感情。私、貴方の小さな主の正体を知っているのよ。まあ、知ってなければ動く気にもならなかったけれども。」
立ち上がり、いまだに警戒する醜悪な悪魔に近寄りながら言葉を続ける。
「表向きは学園所属の三流ヒーラー。裏の顔は多くの悪魔を身に宿すという禁忌の力で人々を守る存在。その姿から付いた異名は穢れし生娘。そうでしょ?」
ぶるんと体を大きく揺らし、動揺を表す醜悪な悪魔と顔を合わせる為にしゃがむ。
「尊敬してるの。理想の為ならばどこまでも身を削る強くて格好いい生娘様に。正体を聞かされた時はビックリしたけれど。気持ちは変わらないわ。だから…。こんな所で終わらないで?」
ルビーの瞳は真剣に。整った唇は本心を紡ぐ。
すっかり、絆された醜悪な悪魔は黒の柔らかな体を上下に動かし、理解を示す。
「十分に理解した。後は全部任せた。でもな、自分の身は大切にしろよ。お前が一芝居うった時点で俺らは自由だったんだからよ。じゃあな、アプリコット。達者でな。」
アプリコットは満面の笑みを浮かべ、満足そうに頷いて窓を開け放つ。
醜悪な悪魔は体をしならせ、砲弾の様に窓から飛び出し、彼方まで消えていく。
その後、学園に戻ったウェサは不名誉な称号を受けたが琥珀色の瞳は生き生きと輝いていた。

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