ログ:純粋さで愛して

深い深い森の簡素な館のリビングの右隅で
お気に入りの年期の入った木の丸椅子に座りながら
辞書ほどの厚さのある本を太腿の上で開き
ページをパラパラと捲って
確認していると
左から人の気配を感じる。いつの間にいたのだろうか。
その気配は明るい声で話し掛けてくる。
「ねぇ。それ何ネ。読んでて面白いネ?ろぐ?だったっけ。私未だによく分かってないネ。」
顔を動かしその声の主を確認する。
黒髪のシニヨンに水色のアオザイを身に纏った
紺色の生の輝きに満ちた瞳をしたチャイナ少女。
チャイさんが咲く様な笑みで話し掛けてくる。
こんな辺鄙な場所まで
ご足労いただきありがとうございます。お客様。
彼女とは最近出会ったばかりなのだが
明るく人懐っこい彼女は
奇矯な見た目の私に臆する事なく
気さくに話し掛けてきてくれる。
ボサボサの茶髪のショートヘアーに
瞳のあるべき場所と両腕に包帯を巻いた
膝から下のない
濃い紫色のローブを身に纏った
醜い小娘のアンデッドのリッチである私に。
なぜ瞳がない癖に世界が見えるのか
簡単な話ですよ。魔法です。
笑みの一つでも返せば良いものの
表情を変えるのが苦手な私は固まった無表情でログの説明を始める。
「ログとは人生の足跡を纏めたもの。私が死者を認識する事で生成でき、私以外がこれを直に認知しようとすると他人の人生が脳に直接入り込んで来るので己という概念にヒビが入る。弱ければ完全に壊れてしまうというおぞましい代物。死者が持っていた能力や魔法を使用できるという良い点もありますが。それで今、私が確認していたのはその方が知り得なかったその方の足跡。シークレットログの確認ですね。例えるならば一人っ子であるという認識で生を全うした方がいましたが実は腹違いの兄弟がいた、という様な物ですね。」
大きく頷きながら話を聞いていた彼女は
一通りの簡単な説明を済ませた
私の顔を真っ直ぐな瞳で見つめながら
首をかしげ、問い掛けてくる。
「それを確認してどうなるネ?何か意味あるネ?」
「シークレットログはその方の記憶にない儚い足跡ですので私が認知しておかないと消えてしまう繊細な物なのです。ログに欠けがあるという事は私の主である創生主様のご活動である知識の収集に欠けが出るという事ですのでお叱りを受けます。」
「創生主様って怖いの?私知ってるけどそうは見えないネ。銀髪の男の人にしてはながーい髪の緑色の目をした背の高いスッゴく格好いい人だよネ。とっても冷たいけど怒ってるイメージないネ。」
「創生主様自体が恐ろしいのではありません。切り捨てられるのが怖いんですよ。私は従順な配下で在りたいので反逆行為はしたくないのです。もし、少しでもお気に触ったらと考えると…アンデッドの癖に怖がりですから。それと創生主様のお話はあまり為さらぬようお願い致します。創生主様は自身の事を語られるのを非常に嫌厭していらっしゃいますから。理由は己の存在の情報流出は活動に支障が出るからですね。」
私の言葉を聞くと彼女は難しそうな顔をする。
「成る程ネ。あの人、恥ずかしがり屋さんには見えないネ。でも、嫌な事はしない様にするネ。ローチーが大好きな人に嫌われたら悲しいからネ。」
私の名前はログリッチなのだが
彼女は何処までも人付き合いの下手な私を気遣って
親しみを込めて渾名で呼んでくれる。
見境なく触れあってくれるのは良いのですが
見た目は小娘でも
あなたより遥かに年上ですから
頭を撫でるのは止めて欲しいものです。
それにあなたには
理解できないと思いますが
大好きなどというそんな軽い感情ではないのですよ
私という存在を創り出した偉大なる存在に対する感情は。
そんな事を思っていると
私を撫でていた筋肉質な白い手が
ログに触れようとしているのを
腕の包帯でペシリと叩いて制止する。
「触るのも駄目ネ?」
「あなたの精神力の強さは何となく理解できますが一ページでも触れてはなりません。さっき説明したじゃないですか。」
「ごめんネ。危険なのは分かったけれどやっぱり気になっちゃって。ローチーの事をもう少し知りたいなって思っただけネ…。」
大きく頭を下げる彼女を見て
好奇心の塊で純粋で単純な生き生きとした
若い人間だという事を強く認識し
憧れにも似た軽蔑の気持ちを抱いてしまった。
私は綺麗に生きていなかったから。
そんな負の感情をぐっと抑え言葉を返す。
「これは私のログではないですよ。確かに私の服と同じ紫の表紙ですが。この方の話でもします?」
彼女は勢いよく頭を上げ
目を輝かせて頷くが直ぐに腕を組んで怪訝そうにする。
「それって楽しいお話?怖いのは嫌ネ。」
「人生は楽しい事ばかりではないのですが、この方は比較的幸福な人生を歩まれている様ですのでそこだけお話しましょう。」
そう口で言った後に心の中で
幸福なんて概念、理解できませんがね。
と、呟きながら
私の目の前で正座をして期待の目を向けてくる
彼女を裏切る訳には行かないので簡単に語り出す。

中世後期頃の名家のお嬢様のログ
彼女はパステルピンクの編み込み髪にコスモス色の瞳をした見目麗しい女の子でした。
優しく暖かい理想的な両親に
もふもふとした三毛が特徴的な
愛犬のコーラルと一流の仕事が出来る者が揃った使用人のいる
立派で真っ白な宮殿の様なお屋敷に住んでいました。
お嬢様はそんな美しいお屋敷が大好きで
殆んど表に出る事なく
毎日歌って過ごしていました。
彼女は十四歳の誕生日に婚約者を紹介されました。
四歳年上の自分よりも高貴な生まれの
翡翠色の髪に瑪瑙の様な瞳をした
端正な顔立ちの紳士的な男性でした。
一瞬で恋に落ちたお嬢様は
彼に自慢の愛の歌を送りました。
その歌はこれまでのどの歌よりも情熱的な歌詞で
屋敷内の全ての存在が聞き惚れてしまうほどの
心揺さぶられる歌声で歌われました。
そんな歌を送られた彼は大層感激し
その日に婚約を結びました。
彼は彼女を心から愛し、得意のバイオリンを弾き
彼女の歌を更に魅力的な物にしていました。
使用人も近隣の人々も貴族達も
絶賛する程のお似合い夫婦でした。
しかし、美人薄命とはよく言ったもので
彼女の享年は二十七歳でした。
最期は真っ赤な花を頭に咲かせ
彼とコーラルに看取られました。
最期まで愛する者共にいられた彼女は
さぞ幸福だったのでしょう
口元に笑みを浮かべていました。

話終えるとチャイさんはは目に涙を浮かべながら
盛大な拍手を私に送る。
「若いうちに死んじゃったのは悲しいけれど大好きな人と一緒にいられて良かったネ。素敵なお話ネ!私もそんなお嬢様みたいに愛されてみたいネ。お金はなくても必要ないネ。とにかく愛されたいネー。」
涙を拭ってうっとりした表情の笑みで
感想を述べてくれた彼女の姿を見た事で
私は幸福という概念を
少しだけ理解した気したが
もう一度ログを確認して
やはり違うなとひっそり思う。
しかし、愛される事が幸せですか。
成る程。
「良いお話を聞かせてくれてありがとうネ!またお話聞きたいネ!今度はローチーのお話がいいネ!」
「私の話はろくな話ではありませんしそれに怖いお話です。」
「怖いの?じゃあ、ローチーの幸せなお話聞かせて?」
そんなお話ありましたかね。
ないと思いますので、そのうち作っておきますよ。
と、思いながら、顔をそらし遠くを眺める。
「ローチーは幸せじゃないの?」
ほんのり悲しげな顔をする彼女と
その彼女が掛けてきた問いに
表情の固い顔が渋い顔になってしまう。
そんな顔をしないでいただきたい
対処方法が全く分からないので。
「難しい事を問われてしまいましたね。答えるとするならば分からないですね。幸福は人それぞれですから。」
「そっかー。ごめんネ。変な事聞いて。」
私は逆に問掛けてみる事にした。
彼女の幸福論を聞かせて欲しい。
私がアンデッドになった理由である
幸福を見つける事に近付く為に
そう思ったのは彼女が笑みを絶やさず
楽しげにしているから。
太陽のような暖かさを持つ彼女は何と答えるのだろう。
「んー…。私は幸せ者だと思うネ。白魔とウェサとローチーっていう真逆の性格の頭の良い素敵な親友がいて。熱血で不器用だけど私の事が大好きなお父さんと厳しくて男勝りで強いおっぱいの大きいお母さんとスッゴく体が大きくて優しいけれど女の子が怖くて引っ込み思案なお兄ちゃんがいて。それに…大好きな男の子がいてくれて…ふふっ。何だか照れてきちゃったネ。」
頬を赤くして照れる彼女は
実に愛らしい女の子だと再認識し
それと同時にこんなに魅力的な
女の子には成れないなと
包帯から覗くズタズタに切り裂かれた
己の醜い掌を眺めて
バレないように小さく溜め息をつく。
私が親友ですか。
出会って間もないアンデッドを
そんなに信用してはいけませんよ。
「今日はありがとうネ!また来るネ!」
元気に手を振りリビングから出ていく彼女を
丸椅子に座ったまま、小さく手を振り見送る。
完全に気配が消えた後に本当の話を脳内で反芻する。

中世後期頃の名家の篭の中のお嬢様のログ
彼女はパステルピンクの編み込み髪に
コスモス色の瞳をした見目麗しい女の子は
両親に異常に溺愛され
穢れた世界に触れず美しいままで
在り続けて欲しいという願いにより
逃げ出せないように足の腱を切られて
屋敷に軟禁されていました。
使用人は選ばれ抜かれた
訓練された者達で構成され
ほんの少しでも彼女を穢す様なら
火炙りにされていました。
立派で真っ白な宮殿の様なお屋敷は
外界を遮断する要塞。
愛犬は寂しさで壊れないように用意された愛玩道具。
毎日歌って過ごす事が唯一の娯楽で許された行為。
十四歳の誕生日に婚約者を紹介された。
四歳年上の自分よりも高貴な生まれの
翡翠色の髪に瑪瑙の様な瞳をした
端正な顔立ちの紳士的な男性の内面は
そんな箱入り娘を狂愛する異常者。
本気で愛して自慢の愛の歌を送った事で
彼は更に愛に狂い
両親よりも彼女に美しく在って欲しいと
願うようになりました。
彼は彼女の美しさを保つ為ならば
手段を選ぶ事なく出来る限りの事をしました。
近隣の人々や貴族達は裏で一人の娘に狂わされた狂気の一家と
呼んで嫌悪していました。
彼女が二十七歳の誕生日の三日後
外の世界で噂する貴族の話を聞いてしまい
己を酷く憎み泣き出してしまいました。
穢れた彼女を見るに耐えなくなった彼は
手近にあった花瓶で
彼女を殴り殺しました。
最期に彼女が笑っていたのは
諦めからで頬には涙の跡がありました。

これが本当に幸福なのですかね。
最期に笑えれば良いのでしょうか?
形はどうあれ
愛されていれば良いのでしょうか?
そう思いながらログを閉じ、本棚にしまい込む。
さて、ログの整理を再開しましょう。
チャイさんに聞かせる私の幸福な話は
ログから引用して偽装しておきますよ。
私はチャイさんやこのログのお嬢様の様に
美しくないのですから。嘘なんていくらでも付きますよ。

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