笑顔と真顔

禍々しい橙色の空に
鮮血の様な赤をした砂の大地
辺りに生い茂る巨大な棘だらけの樹木
人間の住む世界とは程遠いその地を
背筋を伸ばし、恐怖を顔に出すまいと
顔を真っ直ぐに向け、堂々と歩く
左目を癖のある黒髪で覆った黄色の瞳をした細身のスーツの男。
木の上からその男を見下す
真っ黒でボロボロのフードを纏った
年齢も性別も分からないナニか達が声を上げる。
―醜い癖に上っ面を取り繕ってる。
―どれだけ取り繕っても醜さは隠せないよ。
―醜悪な悪魔!醜悪な悪魔!
―人間に現を抜かす欠陥品ー!
男は拳を強く握り締めるだけで
顔を合わす事も反論する事もせず歩き続ける。
数分後
男の眼前には漆黒の石壁の円柱型の建物が
円形に連なる砦が姿を表していた。
木製の巨大な扉をナニか達が引いて開ける。
―さっさと行け。
―破滅の魔女様がお待ちだ。
―ママに無礼を働くな。
好き勝手に喚く声を無視して中に入る。
背後で扉が閉じられた重々しい音を感じつつ
石の床に敷かれたレッドカーペットを進む。
中央にたどり着くと視線を吹き抜けに向け
空の一部を円形に切り取っている様をこれから起こりうる事象に対処できるように思考を纏めながら眺めていると
足元がガタンと揺れ、床が天に向かってゆっくりと動き出す。
目標の場所へ誘った床は動きを止め、お前に逃げ場などないとばかりに軋み始める。
視線を戻し、奥に向かって一歩を
踏み出そうとするが
体が直立したままびくともしない。
纏わり付く蛇の様なおぞましい気配がこの空間を支配しているせいだ。
不快な汗が全身を伝う。
視界の端で揺れる濡烏色のローブ
強ばった肩にそっと触れる
陶磁器の様な白く美しい手。
ゆったりとした動きで男の顔を
眺めてくるビリジアンの鋭い瞳。
笑みを湛えた妖艶な薄桃色の口。
耽美な雰囲気と実力差をひしひしと感じる
圧倒的な強者の気配の主は
呼気を感じる距離で甘く囁く。
「やぁ、醜悪な悪魔。遠い所からよく来てくれたねぇ。紅茶とパウンドケーキを用意して待ってたのさね。そう固まってないで此方へおいで。」
醜悪な悪魔と呼ばれた男は
その甘ったるい声を払う様に
首を横に激しく振り
固く閉じていた口を開き、返答する。
「破滅の魔女、アエ。招待には感謝してやる。いいから離れろ。お前の言葉に揺らいだりするかよ。」
アエは醜悪な悪魔の肩から手を離し
ローブをヒラヒラと
優雅にはためかせながら距離を取り
手を後ろ手に組んで微笑む。
「お前さん、自分の立場分かっているだろうねぇ。良いのかい?そんな口効いてさ。…なんてね。今更、気にしないさね。でも、あたしはお前さんを作り出した女神の直属の配下。あの子の意向次第ではいつでも好きなように破滅させてやるさね。まあ、慈愛と思い遣りで出来たあの子が何か言うとは思えないさね。分かってるだろ?だから、あたしがお前さんを見極めてやるのさね。さぁて、何をしてるんだろうねぇ。」
愉しげにクスクスと笑い
景色を一望できる巨大な窓の付いた
開放的な部屋に用意された
仕立ての良い一人用のソファーと
ティーセットが置かれたテーブルへと
軽やかに歩いていくアエの後ろを
ぎごちのない動きでついていく。
「さぁ、座っておくれ。あたしには特別な席があるから気にしなくていいさね。」
醜悪な悪魔は震えを抑えながら行儀よく腰掛ける。
アエは手慣れた動きで紅茶を淹れ
ケーキを切り分け、茶会の用意をする。
一通りの準備が出来ると指を鳴らす。
部屋の隅の暗闇から三メートルはある
巨駆のミノタウロスが
合図に応じて
鉄製の首輪に付いた鎖を鳴らしながら現れる。
ミノタウロスは哀れみの目を
醜悪な悪魔に向けるが
アエの小さな笑い声で
体を震わせ、顔面蒼白となり
四つん這いになって頭を床に付ける。
その背に腰掛けたアエは
ミノタウロスの頭を撫でながら
笑みを崩す事なく話始める。
「呼ばれた理由、何か覚えがあったりしないかね。出来れば自己申告が望ましいものさね。あたしが楽できるからねぇ。どうさね?」
静かに必死に取り繕った無表情で
首を横に振って見せる。
「予想通りの答えさね。それじゃあ、此方から色々と問いていこうじゃないか。ウェサとは上手くやれてるかい?」
醜悪な悪魔はアエの口から
ウェサの名が出た瞬間
やはりかとでも言いたげに
眉間に皺を寄せてしまう。
醜悪な悪魔が敬愛している
優しき小さな契約主ウェサ。
人々を守りたいという願いの対価の
幸せな時間を払い続ける健気な少女。
己に契約を越えた幸福を与えくれる偉大なる主。
動揺を隠す為に舌を強く噛んでから
目を合わせないように無難に返答する。
「契約違反はしてねぇ。文句も言われてねぇ。人間世界に順応する為にこんななりをしちゃあいるがアイツの男性恐怖症を刺激はしてねぇ。上手くやってる。俺が不必要ならアイツは問答無用で追い払うさ。優しいがそういう所はしっかりしてる。問題はないぜ。アイツに寄生してる悪魔や亡霊の管理もキチンとやってやってる。」
アエの表情は紅茶を置き、微笑みから
ニタリとした蛇の様な笑顔を変わり、そんな表情とは裏腹の子供をあやすような口調で問い掛けてくる。
「百点満点の優等生の回答だねぇ。面白くない。フフッ。言い方を変えてやるさね。あのお嬢ちゃんを愛してたりしないのかい?虐げられ過小評価を食らい続けてきたお前さんを見た目ではなく能力や心根で評価し、何処までも信頼を置いてくれるあのお嬢ちゃん。いとおしいだろう?どうなんだい?」
心の奥底までを見透かす強い視線に人間ならば舌を噛み切っていただろうと
思うほどに舌を噛み締める。
暫く押し黙ってから
蚊のなく様な声で答える。
「俺が人間を愛するだなんてあり得ねぇよ。人間以外も愛さねぇが。俺には俺を作り出した篤さ溢れる破滅の女神アエストラル様とその直属の配下である笑顔の麗しい破滅の魔女アエしかいない。そう、いないんだよ。知ってるだろ。そんなに崇めて欲しいかよ。いくらでも崇めてやるし、御望みとあれば跪いてやるよ。この姿ならそれが出来る。」
ソファーから崩れ落ち
そのまま膝をつき深々と頭を下げ
額を床に付ける。
諦めきった表情の
ミノタウロスの背を撫で柔らかに笑う。
「必死だねぇ。可愛いねぇ。そんなにあのお嬢ちゃんがいとおしいのかい。変わったねぇ。その変化、あたしは嬉しいさね。卑屈なのは変わっちゃいないが愛を覚えるなんて。でも、あのお嬢ちゃんは定められた運命からは逃れられない。死した後にあの子を手にするのは上級悪魔の坊や。どうあがいてもお前さんはあの坊やには勝てない。悲愛で終わるのさね。あたしは誰を愛そうが何も言わないが、あの子が咽び泣くお前さんを見たらどうなるかねぇ?あたしはこれ以上あの子を泣かせたくないのさね。となると、どういう事か分かるだろう?お前さんは賢い子なんだからさ。答えを聞かせてごらんよ。」
余裕綽々と優雅に紅茶を口にし
鼻唄を歌って見せる。
未だに頭を強く床に擦り付けていながらも
ギリリと歯を食いしばり
「アイツが死ぬまで、アイツが俺を切り捨てるまで付き添うまでだ…!悲愛などしなきゃ良いんだろ…!泣かなきゃ良いんだろうがっ…!もう俺は泣き過ぎて涙なんて流れやしない…!あの糞野郎の事なんて知るかよっ!」
感情的に震える声で答える。
「良いねぇ。大分成長したよ。あの傲慢な坊やを驚かせる位には強くなってるさね。まあ、結局はその程度だけどさ。あのお嬢ちゃんをたっぷり幸せにしておやり。それがお前さんの使命さね。傲慢な坊やはお嬢ちゃんの従順さしか見ていない。お前さんは全てを見ているし愛している。ここだけがお前さんが坊やより勝る点さね。聞いたかい?坊や。」
青みがかった灰色の髪に
朱色の鬼の様な角を生やした
豪勢な黒のスーツを身に纏った
背に烏の漆黒の羽を生やし
ルビーの発色より鮮やかな赤の瞳をした
下衆な笑みを浮かべる
均衡の取れた筋肉質の男が
朱のカーテンの裏から現れる。
「どうでもいい所でマウントとってくるのは気に食わないがそれよりも無様だなぁ。おい。ご主人様の前で餌をねだる犬みてぇだぁ。ウケるわぁ。そんなにウェサの事が大切だったのねぇ。安心しろよ。ウェサの魂を最高に満足させてやるからさぁ。上級悪魔のルシ様だぞ?てめぇさんより安心安全。素敵で万能な上級悪魔様。そんなパーフェクトな俺をたっぷり敬愛してくれる従順で飼いやすいウェサ。お似合いだよなぁ。醜くて地べたを這いずる一方的に恋する無様な中級悪魔なんて要るぅ?アッハッハッハ!!」
ルシの煽り文句で逆に頭が冷えた
醜悪な悪魔はアエの靴にキスをし話す。
「アエストラル様を裏切りはしない。あのお方を悲しませなどしない。絶対にだ。口約束で満足できないのなら服従の印でも刻めよ。覚悟は出来てる。」
アエは爪先で醜悪な悪魔の顎を持ち上げ
どす黒い気配を放った笑みを浮かべる。
「そこまでの強固な決意を安っぽい魔法で価値を下げたくないさね。おやおや、いつもの傲慢さたっぷりの笑みはどうしたのさね?坊や。これが坊やが絶対に出来ない泥臭いやり方さね。成り上がりとエリートはこういう所が違うから面白いのさね。」
煽る様に笑うアエと対照的に
真顔になったルシはポケットに
手を突っ込んだまま思い切り
眼中になどないとでも言いたげな
醜悪な悪魔の腹部を蹴り飛ばし
人の皮を砕き、元の黒いスライムに目玉が数多に付いた醜い姿を露見させる。
唾を吐きかけ、目玉の一つを握りつぶす。
醜悪な悪魔は声など上げる事なく
潰れた目玉をぐにゃぐにゃとした黒い身体で包み
あっという間に再生させる。
「嫉妬を司る悪魔はレヴィアタンさね。そうだろう?ルシファー。まあ、人間が勝手に司る欲望や感情を決めただけでそれに従う事なんてないさね。フフッ。」
ただひたすらに笑うだけのアエに
反抗する様に顔を歪めて高笑いを上げる。
ひとしきり笑うと不敵に微笑んで見せる。
「フルネームで呼ばないでくれるかね。まるで躾られてるみたいじゃん?俺は嫉妬なんて馬鹿馬鹿しい感情を抱いてませんー。これは教育。上級悪魔は未熟な者を指導してやる義務があるだろ?それを果たしてやったまでですよぉ。」
アエは微笑ましいとでも言いたげに笑い
紅茶に口を付ける。
ルシが現れたタイミングから
窓の外を飛び回っていたナニか達が
嘲笑して、笑い声の合唱を響かせる。
「あたしの可愛い臣子達。悪魔達を嗤うのはお止めよ。道中でもこの子達を好き勝手に嗤ってやったんだろう?無邪気なのは酷だねぇ。もっと楽しい事をくれてやるからちょっとの間、静かにするさね。」
一瞬で合唱は止み
アエの指を鳴らす音と不敵な笑い声だけが聞こえる空間で反抗できない程の強い魔法で引き寄せられ身動きの出来なくなった醜悪の悪魔は
膝の上に乗せられ撫でられる。
「さてと、坊や。これからもこの子とウェサを取り合う愉しい愉しい争いを繰り広げておくれ。どうだい?一人勝ちなんて出来そうもない相手だって認識できたかい?傲慢さは保てるかい?」
ルシの答えは余裕そうに嘲笑って見せるだけ。
背を向け漆黒の羽を羽ばたかせ
窓を盛大に割って橙色の空に消えていく。
小さく笑いながらナニか達が
即座に窓を直して跳ね回って消える。
アエは醜悪な悪魔を撫で続けながら
窓の方に歩んでいき
下を眺めて我が子をいとおしむ様な笑みを浮かべる。
笑みを見たナニか達は喜びで跳ねる。
「坊やは良くも悪くも変わらないねぇ。やっぱり素直に可愛いのはお前さんぐらいさね。他の悪魔は相変わらず手の掛かる悪い子。悪魔の道を外さずに可愛げたっぷりに振る舞ってくれたさね。お前さんの大嫌いな幻影の悪魔は底が見えなそうだが本性は浅ましい。心理戦大好きな詐欺師さね。まあ、あの子が研鑽を重ねてもあたしの思考なんて永遠に読めないさね。ワンサイドゲーム。それでも笑みも敬語も崩さなかったのは褒めてやるさね。上には存外従順なんだね。もう一人、お前さんの嫌いで嫌いで堪らない秀麗な悪魔はわざと醜く振る舞って頭を冷やそうとする難癖を惜しみ無く見せてくれたさね。愛らしいねぇ。あたしの事をお前さんより慕ってくれるからねぇ。あの坊っちゃんは上下をよく理解してる犬だけど媚びはしない。下手に甘やかすと噛み付いてくる読めない子。狡猾さは幻影の子を越えるかもしれないさね。」
素早く腕からすり抜け逃げた
醜悪な悪魔は人の姿をとり
全てを悟った無表情で直立し
真っ直ぐ目を見て問い掛ける。
「俺の査定は?」
ゆらゆらと妖しげに通り過ぎながら
「あの子の為に感情に素直で居続けな。外道悪魔。失望されない様に破滅しない様に立ち回りなよ。愛してるからね。」
指を鳴らし、部屋の物を全て消す。
ミノタウロスの背を軽く叩き
優しく話し掛ける。
「ミノタウロス。この子に言いたい事は?同情の言葉でも掛けてやりなよ。唯一マトモなこの子にね。」
立ち上がり近寄って来た
尻に敷かれていたミノタウロスは
巨駆を屈めて耳元で
その凶悪な見た目と反する
好青年らしい態度と声で囁く。
「死ぬほど苦労してるねぇ。癒しがあるとは言えども。真面目にお前ぐらいしかマトモな奴がいなくてビビるわ。何もしてやれないけどさ、応援してやるよ。俺はお前の味方で要るから強く在れよな。」
「サンキュー。色んな奴からマトモ認定されて嬉しいもんだな。外道悪魔としてやってやるよ。お前もまあ…頑張れよ。俺もお前になーんもしてやれねぇから。したっぱは大変だな。」
二体は乾いた笑い声を上げ、ハイタッチをして別れる。
「今度呼ぶ時はお手柔らかに。」
入り口に立っていたアエは
頬に口づけをし、「嫌さね」と呟く。
分かりきった反応を見て
顔を来た時とは違う無表情で
砦を去っていく。
受難から逃れられない醜い悪魔は
運命から逃れられない主の元へ帰る。

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