月と鴉と白い雪

窓から一部見える月が仄明るくする明かりの消えた一室。ぐちゃ、ぐちゃ。不快な咀嚼音が聞こえ、部屋には鉄の香りが充満する。
夢中になって何かを貪るそれは
ノック音が聞こえると動きを止める。
「入るぞ。ウェサ。」
長い銀髪を靡かせ、背負った紅の剣を揺らし、黒のゴスロリのロングスカートをはためかせ部屋に入る整った顔立ちの少女。
姿を現した月気が眼前の凄惨な光景を照らして見せる。
数多の目玉が付いた黒いスライムが小柄な
栗毛色の髪の少女の下半身にのし掛かり
臓物を千切って己の体内に取り込み左右に動いて擂り潰す。
ぐちゃ、ぐちゃ。
銀髪の少女はウェサと呼んだ少女が血塗れで無惨に喰われる様を腕を組み、冷たく感情の感じない水色の瞳で見下すだけで何もしない。
視線に耐えかねた黒い化け物は体に付いた瞳を全て少女へ向け
狂気混じりの乾いた声で話し掛ける。
「白魔…ククッ…お前冷てぇな。親友を喰ってんだぞ。何とも思わないとでも言いたげなその態度はイカれてるぞ…ククッ。なあ…なんか言えよ。…なあ?」
白魔は微動だにしない。変わらず水色の瞳で見下して来るだけだ。
黒い化け物は態度に呆れ、ぶるぶると震えるとウェサの上半身を掴んで抱き寄せる。
「ウェサ…愛してるんだよぉ。クヒヒ…やっぱり、この感情は…敬愛じゃねぇよ。愛だ…。愛しちまったんだよ…。愛しちまったんだよなぁ…。ヒヒッ…。ご主人様じゃなくて…一人の女として見てたんだよな…ククッ。」
ウェサの頭を優しく包み込み動かし、光のない琥珀色の瞳を月明かりに照らすと淡い光が瞳に宿る。その美しさに恍惚とし、身を揺らす。一頻り堪能するとじわじわと上半身を体内に吸収していく。
「月が綺麗だ…。これで…一緒だな。ヒヒッ…ヒヒヒヒッ…。あの悪魔でも…俺を止められなかったんだぜ?…ククッ…ヒヒッ…笑えるな…。」
乾いた笑いを上げながら黒い化け物は姿をウェサそっくりに変える。髪の色は黒く、瞳の色は鋭い光を放つ黄色。床にぺたりと少女座りで座り込み、ニヤニヤと口端を上げ、白魔を見上げる。
相変わらず白魔は微動だにしないが真一文字に閉じていた口を開く。
「で?私に手を下して欲しいのか?奴から逃れられる訳がないからな。それともしおらしく親友の死を嘆けば良いのか?もう私は泣けないのだがな。醜悪な悪魔。黙ってウェサの命を握っていたルシとか言う悪魔に消されるがいい。私は貴様の逢瀬に手を貸すキューピッドじゃない。」
醜悪な悪魔は冷淡に放たれた言葉に笑みを歪め、深く頷く。
「変わんねぇなぁ…。ヒヒッ…本当に。殺して欲しかったねぇ…俺とウェサをアイツの手の届かない場所に連れてって欲しかったねぇ。意図は通じてたがやっぱ駄目か。そうか…ヒヒヒヒヒヒッ」
醜悪な悪魔が狂った笑いを上げていると
窓が破られ、何者かが降り立つ。
真っ黒な羽が辺りに舞い散らばる。
背に烏の漆黒の羽を生やし青みがかった灰色の髪朱色の鬼の様な角を生やした、豪勢な黒のスーツを身に纏うルビーの発色より鮮やかな赤の瞳をした見下した笑みを浮かべる均衡の取れた筋肉質の男。
「やってくれたねぇ。やってくれちゃったねぇ。テメェさぁ…。許されると思ってんのか?」
「ククッ…遅かったなぁ…ルシ…。いや、ルシファー様ぁ。見ての通り、ウェサと俺は一つになっちまったんだよなぁ。これじゃあ、魂も奪えないなぁ。穢れてしまったねぇ。穢してしまったなぁ。ヒヒッ…ククッ…アヒヒ。」
ルシは真顔で顔を合わせる事なく醜悪な悪魔の腹部に蹴りを入れ、壁に叩き付ける。その光景を一瞥しただけの白魔に近寄り顎を持ち上げ、視線を合わせると妖艶に笑う。
「ほぉ、お前が六辺香白魔ねぇ。ウェサの親友だと聞いてたが随分な反応じゃないかねぇ?ん?まあ、いいや。その剣でこのゴミを斬らなかっただけ偉いですねぇ。マジでその剣は厄介だからな。魔剣ヒイロ、聖も邪も穢し喰らう魔力の剣。で?お前さぁ、ゴミに手を貸さないわ、ウェサを助ける気はないわ、俺に関わる気もなさそうだしさぁ…。なんでこの場に居る訳?失せろよ。」
表情を崩す事なく紅の剣で顎に触れていたルシの手を斬り捨て、静かに剣を鞘に戻す。再び腕を組み、数歩後ずさったルシを仁王立ちで一瞥する。
「そいつで斬りつけんじゃねぇよ。治すの面倒だろうが。クソアマ。」
呆れた顔で文句を言いながら斬られた手を拾い上げ、断面に押し付ける。赤い筋が手首に浮き上がってくっつく。
「俺は実に不幸で可哀想な大悪魔様だねぇ。中級悪魔ごときに大切な女を取られるわ、クソアマに傷物にされるわ。覚悟出来てんだろうな?寛大で慈悲深い優しい優しい大悪魔ルシの逆鱗に触れちまったんだからな。」
両腕を鳥の鉤爪に変化させ、不敵に笑って見せるルシを見ても白魔は能面の様な表情のままで醜悪な悪魔は喉の奥から絞り出す様な笑い声を上げ、天を仰ぐだけだ。
怯みすらしない態度の悪魔と人間に怒りで余裕綽々だった笑みを歪ませるルシの喉元にいつの間にか剣を突き立てていた白魔は冷たく問う。
「貴様は何故、ウェサを救わなかった?貴様はウェサの寿命と魂を対価に不死にしてやった筈。悪魔が契約不履行とは恥ずかしくないのか?」
「何だよ。怒ってんじゃねぇかよ。能面クソ女。あぁ、それねぇ。ゴミがな親の力、破滅の女神の力で俺の契約を一時的に滅茶苦茶にした訳よ。破滅の力は悲しい事に不死を無にしちまうし、破滅にはこの大悪魔ルシ様でも対応出来ないんだなこれが。親に泣きついて俺から女寝取るゴミこと醜悪な悪魔の方がよっぽど恥ずかしいと思いますねぇ。俺はこのゴミにけじめとして地獄で永遠に苦しんで欲しいだけでお前に用はないね。今の所は。答えてやったろ。失せてくれませんかー?手首の件はチャラにしてやるからよぉ。俺は寛大で最高に慈悲深い優しい優しい顔の良い素敵な大悪魔様だからなぁ。」
白魔は聞きたい事は聞いたとでも言いたげにルシの首に剣を突き刺し、体を天を仰いでいる醜悪な悪魔に向け、歩み寄り腹部を踏み付ける。
「一方的な愛でウェサと一体化した気分は良いだろうな。貴様も今までの男共と同じ。愛情などという下らない感情でウェサを苦しめた。ウェサはあんなに気を許してやってたのに貴様はその気持ちを裏切った。見た目で軽蔑せず実力と内面を見て契約してやったのに。男など自分勝手だ。自分さえ良ければそれで良いんだからな。穢らわしい。」
スカートから銀色に光るナイフを五本取り出すと両腿と両腕と心臓に突き刺す。
「痛てぇ…。スゲェ痛てぇ…。退魔のナイフか…そりゃあ痛てぇよな。俺だけを苦しめるんならそうなるよな。…でもな、俺はウェサと一緒だ。ルシの野郎に地獄に落とされて苦しめられようとこの場でお前に苦しめられようと何とも思わないんだぜ…。ウェサがいる…。ウェサがな…。ヒヒヒヒヒヒヒッ!アハハハハハハハハッ!」
完全に壊れた醜悪な悪魔は甲高く不快な笑い声を上げて醜い笑みを浮かべる。ルシは一突きにされた首に触れ、傷を治す。赤い筋が横一線に残る首を擦りながら白魔を突飛ばし、醜悪な悪魔に掴み掛かる。
「じゃあ、お望み通り地獄に落ちてもらおうか!!テメェは屑だ!外見だけ醜いだけならまだマシだったのに中身まで醜くなりやがってよぉ!こんな屑と女の取り合いしてたなんて俺の恥だねぇ!!」
小柄な体躯を鉤爪で強く掴み、ミチミチと軋む音を響かせながら烈火の如く怒り狂い、整った顔立ちを歪めていたルシは何かに気が付き、真顔になる。暫し、沈黙が続くと嘲笑を浮かべ始めじんわりと苦しめる様に掴む力を強める。
「いや違うね。やっぱり俺の方が優秀で安心安全の素敵な大悪魔だと再認識された瞬間だな!俺は俺の実力で女を守ってきた!テメェはどうだよ?親に!主に!泣き付いて力を借りて寝取りやがった。最低最悪な野郎じゃねぇかよ!クハハッ!所詮は中級悪魔だよなぁ!!なぁ!偉いママがいて良かったねぇ。そんなママを泣かせるのぉ?大好きなママを苦しめるのぉ?親不孝過ぎてママの配下の破滅の魔女に終わらせられちゃうねぇ!自業自得ぅ!外道悪魔の汚名は伊達じゃないねぇ!一人の人間の女に狂わされた外道悪魔!」
嘲罵を浴びせる。その間に醜悪な悪魔の体は鉤爪の掴む位置からドス黒く変色し溶けて消えていく。消えていく体を眺めても消え入る様な声で笑っていたが破滅の女神の話題が出た瞬間に顔を曇らせる。うなだれ、何も言わなくなった。
ルシがその沈痛な表情を見逃す筈がなく、裂けるのではないかと思う程に口端を上げて嘲弄する。
「おやおやおやぁ?今更になって自分が何したか気が付きましたぁ?悪い子でちゅねぇー!でもねぇ、大悪魔様のルシ様は超絶優しいから褒めてやろう。悪い事したって気付けて偉いでちゅね!ママの悲しげな顔が脳裏を過ったの?んっんー、親思いの子だねぇ。でも、手遅れぇ!謝っても許されないんだよねぇ!それにテメェはお子ちゃまじゃないんだから泣いても駄目だねぇ。けじめってもんをつけてもらわないとねぇ。それ相応の罰を受けないといけないねぇ。お分かり?」
顔を近付け、懸命に視線を逸らそうとする醜悪な悪魔の頭を鷲掴んで正面を向かせる。口をへの字に曲げ、小刻みに震える様子を見て意地悪く笑う。
「あーあ、ウェサにそういう嗜虐心くすぐられる顔して欲しかったねぇ。アイツは気弱な癖に芯は強い女だったから本物の泣きっ面は見られなかったねぇ。ばつが悪そうな面しかしなかった。ウェサはマジで良い女だったわぁ。権力や実力を認め、心から畏怖し称えるが媚びはしない交渉上手で賢い女。逸材がこんなに穢れて俺は悲しいねぇ。」
冷ややかに笑いながら語るルシに「だから、お前から奪ったんだぜ。悔しいか?」とでも言いたげに口角を上げる。
どこまでもウェサを奪った愉悦に浸り己よりも傲慢に振る舞う醜悪な悪魔に怒りの限界を迎えたルシは頭を握り潰し、侵食を一気に進め地獄へ送る。鉤爪を元に戻し、憎々しげに腰に手を当てる。視線の先には事を静観していた白魔。視線に気がつくと顔を向け、冷たく見つめ返してくるだけで沈黙を貫いている。
「結局、テメェは何がしたかったんだ?ん?」
「ウェサに待ち受けていた選択肢。その一、ヒイロに醜悪ごと喰われて剣の糧になる。その二、破滅の魔女がやって来て醜悪ごと破滅させられる。その三、貴様がやって来て醜悪ごと地獄送り。どれがウェサにとって最良か考えていた。一はない。救われない。醜悪の思い通りだ。二は良いだろうが奴が動かない。貴様の気を満たしてから動く。貴様と醜悪のウェサの取り合いをエンターテイメントとして楽しんでいた魔女だからな。今頃、一部始終を見終わって堕ちた醜悪に語り掛けているだろう。そういう性格の魔女だ。消去法で三。貴様に手を下させた。関係者が満たされればウェサは悪く思わない。知っているだろう。ウェサはいつでも己より他を気遣っていた。私は親友を見送っただけ。多少は私怨を込めてやっただけ。普段通り振る舞う。泣いてやっても無意味。それが私の思う最善策。文句があるなら言え。」
淡々と述べる白魔に心底呆れ溜め息をつきオーバーに頭を抱えて見せる。
「ウェサの親友、六辺香白魔は冷徹で動じる事のない理性的な存在。それをどこまでも貫いてウェサの愛した白魔で居続けるのが最善でテメェに出来る事ねぇ。はーん。へー。まあ、良いんじゃないかねぇ。俺は理解できないけどねん。テメェの泣き顔拝みたかったねぇ。」
冗談混じりに笑って見せるが再び首を一閃されてしまう。
「見世物じゃない。私はどれだけ貴様が偉かろうと媚びない。貴様の嗜好を満たしてなどやらん。黙れ。」
言葉の圧が強かろうと冷淡な語り口の白魔を見ながら二重の赤い筋が付いた首を大袈裟に触って悶える。
「クソアマが。まあ、俺は天使よりも慈悲深くて天井知らずの優しさを持ち合わせた悪魔の中の悪魔、大悪魔ルシ様だからな。怒りませーん。許して差し上げましょう。本当に俺って神対応の化身。剣に守られてるだけの脆弱な人間がイキるなよ?じゃあな。帰って破滅の魔女に話でも聞くかねぇ。ゴミがどんな風に破滅したか聞かないとモヤモヤしちゃうからなー。」
指で下瞼を引き下げ、舌を出して挑発してから黒い翼を広げて飛び立つ。
風圧で銀髪が揺らぎ、月光を反射しキラキラと輝く。
「今日の月は待宵の月だったな。満月である明日の月は綺麗だろうに。悪魔共。ふん、悪魔以前にやはり男など穢らわしい。ウェサ。信じた結果がこうならば私は誰も信頼などしない。だが、一つだけ信用出来る事がある。奴らの言う通りお前は最高の女だった。」
月夜に消える独り言を放って惨劇跡に背を向け白魔は何事もなかった様に静かに立ち去る。

※タイトルはお題botからお借りしました

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